嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(60) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくはきみを知っている)

〈泣くことを覚える以前のきみを〉
きみはぼくを知らぬという

 泣く。ひとは泣き叫びながら生まれる。しかし、これは肉体の反応である。「覚え」てから泣くのではない。だから「泣くこと覚える以前」というのは悲しみを覚える以前ということになる。うれしくて泣くということもあるから、喜びを覚える以前ということでもある。
 悲しみや喜びによって、時に区切りができる。以前と以後がある。そして、人間はそれを「覚える」。
 「覚える」は「知る」につながる。しかし必ずしもそれは一致しない。
 人には知っていることと知らないことがある。覚えていることと覚えていないことがある。ふたりはいつ出会ったといえるのだろう。いつ出会うのだろう。いま出会っているのか。これから出会うのだろうか。きみはぼくを、いつ「覚える」のだろうか。









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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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