嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(53) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

* (彼は)

鳥のように 洋傘のように 枝にぶらさがつて死んだ

 「鳥のように」「洋傘のように」と比喩が繰り返される。しかし「鳥」と「洋傘」は似ているだろうか。
 翼を閉じて、傘を閉じて。あるいは、翼を開いて、傘を開いて。
 その「形」もわからない。
 たぶん、「わからない」ということが重要なのだ。判断できない、ということが。
 自殺の理由は、誰にもわからない。
 この詩のなかには、次の行もある。

小さな鉦叩きがその下を横切つた

 なぜ? 理由はいらない。それが「自然」だ。--と書くとき、私は三木清を思い出している。嵯峨が三木清を読んでいたかどうかはわからないが。
 「手記」のなかに、こんな一行がある。

人間と自然との対立のうち最も重大なものは「死」である。

 いまは、それを結びつけて「結論」を書きたいとは思わない。ただ、そういう行があったということを思い出したと書いておく。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)