嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(51) | 詩はどこにあるか

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* (空間のどこかが少し歪んでいる)

 抽象的に始まる詩の最後の二行。

部屋から出てきた片手のない男が
ベコニアの花に水をやつている

 「ベコニアの花」は「空間のどこかが少し歪んでいる」ことを知っているか。知らないだろう。知らないことがあるが、それでもベコニアの花は完全である。そして、その完全さは「水をやる」男によって、いっそう完全なものになる。
 この完全は「非情」かもしれない。「情け」を考慮しないという意味である。
 私たちの「情」は、こんな具合に、ときどききれいさっぱり洗い流される方がいい。絶対的な「美」に出合うために。