未完のぼくを慰めよ
きみたちは集まつて広い余白になつてくれ
「ぼく」は嵯峨であると仮定できる。だが「きみたち」は誰か。「きみたち」も嵯峨であろう。
「未完のぼく」とは「未完のことば」、まだ「ことば」になりきれていない「ぼくのことば」と読む。「きみたち」は「未完のことば以前のぼくのことば」。「ことば」になるための運動がはじまっていない無意識の「領域」。しかし、いったん「未完のことば」が「完成」を目指して動くとき、それをささえることばがつぎつぎにうれまてくる領域。
「未完のことば」は「余白」というよりも「空白」を必要としている。「未完のことば」がどこまでも自由に広がっていける「空間」が必要だ。「未完のことば」が自由に動き「ことば」として生まれるためには、何も書かれていない「空白/余白」が必要だ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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