自民党憲法改正草案を読む/番外276 (情報の読み方)
読売新聞2019年07月04日朝刊(西部版・14版)の一面。
参院選きょう公示/首相消費税「10年上げず」/10月の10%後 党首討論で表明
という見出しの記事の最後の部分。
年金抑制策について「現役世代の負担を抑制し、将来の給付を確かにするものだ」と理解を求めた。さらに「(年金抑制を廃止すると)今40歳の人が(年金を)もらう段階になって、年金は枯渇する。本当に良いの」と訴えた。
「論戦(論理)」というのは「後出しジャンケンゲーム」である。つまり最後に言ったもののことばが「結論」のように聞こえ、それに納得してしまうことが多い。読売新聞はこの「論理の特徴」にのっかるようにして、最後に安倍の発言を引用している。
「年金を抑制しないと、年金は枯渇する。それでいいのか」
この「恫喝」は、「論理的」に点検しないといけない。
枯渇の要因として、安倍は「年金を抑制しないと」という条件をつけている。つまり、別の条件なら枯渇しないことが考えられる。たとえば、共産党が言っているように「企業にきちんと法人税を納めさせる。高所得者の税金を上げる」という条件なら、どうなるのか。枯渇しないのではないか。
さらに「年金抑制を廃止すると(年金を抑制しないと)」を「いまの年金制度をつづけないと」ということだが、これを「いまの年金制度をつづけると(いまの年金制度のままでは)」と言いなおして、それにつづく「論理」を考えると、こういうことも言える。
「いまの年金制度をつづけると(いまの年金制度のままでは)」、老後の暮らしを維持できない。月々5万円の赤字になる。90歳まで生きると仮定すれば、2000万円不足する。いま問題になっているのはこのことなのに、安倍の「恫喝論理」は、それを無視した「すり替え論理」ということになる。
老後の赤字不安を解消する。さらに現役世代の年金支給も保障する。そのためには、どうすればいいのか。解消策は、どうしたって「年金制度の改革」であり、それは言い換えると年金の原資をどこから調達するかという問題になる。
方法はいろいろある。①年金確保のための税の創設(消費税というのは、たしか福祉を充実させるための税制であったはずだ)②現在の税制制度の見直し(法人税、累進課税の税率の見直し)③予算配分の見直し(たとえば軍事予算を減らす)④年金積立額を増やす(現役世代の負担を増やす)⑥年休支給開始を遅らせる(これはすでに自民党が主導してやっている)
ちょっと思いついただけ(すでに言われていることを書き並べただけ)で、これだけある。そういうことを検討するための「資料」を提供することもジャーナリズムの仕事だと思うが、それをせずに安倍の「恫喝論理」を「結論」として書いてしまうのは、問題が大きい。首相が言ったから、それをそのまま書けばいい、ということではないだろう。
だいたい国民の不安をあおってどうするのだ。安倍は「政治の安定」を主張しているが、国民の不安をあおっておいて、それで国民を抑圧する。その結果として「政治の安定」があるというのでは「恐慌政治」ではないだろうか。