嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(33) | 詩はどこにあるか

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* (その地図は)

その地図は色も塗つてなければ海と空と陸地との区別もない
地名も何も記入されていないが
川だけが名づけられている

 一行目は非常に印象的だ。「地図」とは「地」の「図」だから、ふつうの地図には「海と陸地」の区別はあるが、「海と空」「空と地」の区別はない。空を含めた地図は存在しない。ふつうは存在しないものが、あたかもあるかのように書き出されている。
 これは、しかし、あくまでそれにつづく二行を導くためのことばである。ありえないこと、つまり非論理的なことを書いているが、そこには「非論理」という論理がある。論理を刺戟するものがある。つづく二行は、だから、論理がどんな形で存在しているかを見落としてはいけない。
 「地名」は「川」ということばと出合い「名づける」という動詞を呼び覚ましている。「名づける」とき、すべてが存在し始める。
 ここから一行目へもどると、空も空と名づけられたときから存在することになる。名づけたものにとって、それは省略できない何かである。だからこそ、空をふくめた「地図」が存在してもいい。
 この川は「白い川」と呼ばれている。その最終行。

白い川に説明はない

 「説明」とは論理のことである。
 「名づける」という動詞は論理を超越している。絶対的な「行為」であることを、この最終行は暗示している。

 (途中を省略してあるのでわかりにくいかもしれないが、私は、詩の「解説」を書いているのではないので、こういう書き方になる。私の書いていることばは、あえていえば「註釈」だが、それは私自身のための註釈である。私のことばを動かすための註釈である。他人と共有することを目指してはいない。むしろ他者を拒むためのことばである。わたしはそれを詩と呼ぶことがある。)





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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