嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(29) | 詩はどこにあるか

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* (水子たちが)

きまつているのは
水子たちはどこかへ行かねばならぬということだ

 「きまつている」。これは、だれが決めたことだろうか。「きまつている」は「決める」よりも強い。「決める」を超える力がそこにある。
 そして、その力が「行く」をぐいぐいと押す。
 もどることはできない。「行く」だけなのである。

帰路のないひそかな遠いところへ

 「ひそかな」ということばは、「きまつている」と結びついている。「きまつている」(確実である)から、「ひそか」であっても揺るがない。水子は消えるが、その消える場所は「消える」ということがない。



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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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