時はいやおうもなくぼくの全身を消そうとする
「時」に意志はあるか。「時」が消そうとするのか。
「ぼく」がそう感じるだけなのか。
そのとき「ぼく」は消されたがっているのか。消されることに抵抗しているのか。
「いやおうもなく」は、そのどちらにも加担しない。「動詞」が何であれ、「いやおうもなく」という「動き」があるだけだ。その「いやおうもなく」が「時」だと言っているようだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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