人を愛するとは
どこにもない泉を知ろうとすることだ
光る水面とぼくの影のゆらめきのなかにただ一言を聞くことだ
「人を愛することは」ではなく「人を愛するとは」。そして、それを受けることばは「知ろうとすることだ」「聞くことだ」。
「こと」ということばが差し挟まれている。
「愛する」は動詞。「こと」は名詞。動いているものを固定化しようとする。この困難さというか、矛盾のような「齟齬」は「遠い」と言いなおされる。
しかしどこまで行つてもその泉は遠い
「ない」ものに、「遠い」「近い」の差はない。けれど嵯峨は「遠い」と呼ぶ。愛するときだけ「遠い」ものが近づいてくる。動詞のなかにだけ、やってくる。
それは「こと」と呼べるもの、「名詞」ではない。
「その泉」の「その」も動詞の一種かもしれない。指し示す動きがある。「愛する」もある対象に向けての動きである。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)