嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(3) | 詩はどこにあるか

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* (未来とは)

未来とは
だれの空でもなくだれの陸地でもない

 と始まるこの詩の三連目。

ぼくらは人々と手をつないでみごとな輪をつくる
その輪のなかになにかを囲んでいるのかだれも知らない

 一連目の「だれの空でもなくだれの陸地でもない」は「知っている」。そう考えている。けれども三連目で、

知らない

 が出てくる。
 「人々と手をつないでみごとな輪をつくる」ことは知っている。けれど、その輪なのかに何があるのか「知らない」。
 これはほんとうに「知らない」なのか。
 だいたい「未来とは/だれの空でもなくだれの陸地でもない」とはほんとうに知っていることなのか。
 そうではなく、ここには書かれない「動詞」があるのだ。
 「考える」「考えたい」がある。「想像する」でもいい。そのとき、ひとはことばを動かす。考えは、ことばといっしょに動く。嵯峨は、ことばといっしょになって考える。
 それが嵯峨にとっての詩である。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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