池澤夏樹のカヴァフィス(147) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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147 同じ場所

 誰かと過ごした場所を再び訪れてみる。あのときの時間がよみがえってくる。誰もが経験することを、カヴァフヘスは、こう書いている。


家々のたたずまい、カフェ、近隣のようす、
あの何年かの間に、見たもの、歩いたところ。

私は幸せな時の、また悲しい時の
できごとや細部を積み上げて君を造った。

だから君のぜんたいが私の感情になった。


 「細部」ということばがあるが、細部は書かれていない。具体的なことは何一つ書かれていない。だから、その場所がどこであるか、さっぱりわからない。
 もし「具体的」と呼べるものがあるとすれば、「あの何年かの間」の「あの」だろう。「あの」と思い出す時の詩人のこころの動き。ほかのときではない。「あの」何年かの間。「あの」と呼ぶこころ。詩人には忘れることのできない「あの」なのだ。
 その「あの」は「あの」男ではなく、「君」になる。
 そして、その「君」は「細部」ではありえない。「ぜんたい」である。この「ぜんたい」は「あの何年かの間」の「ぜんたい」でもある。
 それをカヴァフィスは「感情」と呼ぶ。「私の感情」と「私の」ということばで「特定」している。「あの」感情ではなく、「この」感情、である。

 ある街はある。君を思う「私の感情」もある。でも君はもうこの世にはいないのかもしれない。だから「造った」。
 書きたいことがありすぎるのだろう。書き始めると、きっと止まらない。

 池澤の註釈。


 この詩を書いた時、詩人は六十六歳だった。亡くなったのは四年後である。






 



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