131 二人の若い男、二十三ないし二十四歳
この詩にも「常套句」がすばやく動いている。夜、カフェで男が男を待っている。なかなかやってこない。
機械的に新聞を読むのにも
厭きはてた。三シリングという淋しい持金が
残りは一シリングだけ、長く待つために
コーヒーやコニャックに費やしたのだ。
煙草も全部喫ってしまった。
「常套句」というより「常套行動」というべきか。待ちくたびれた、けれど待つしかない。そういうとき相手が誰であれ、同じようなことをしながら待つだろう。その行動(詩に書かれた肉体)に読者の肉体が重なる。重なりの中に、誰もが知っている「時間」が噴出してくる。
自分のしていることがいやになった瞬間、待ち人が来る。しかも「賭博」で稼いだ大金(六十ポンド)を持って。大金は二人を(待っていた男を)よみがえらせる。二人は、
悪の館へ行った。寝室を一つ借り
高価な飲物を買って飲んだ。
朝の四時に近い頃、その
高価な飲物を空にして、二人は
幸福な愛に身をまかせた。
「悪の館」「高価な飲物」「幸福な愛」。何一つ「具体的」には書かれていない。「抽象的」だ。しかし、その「抽象」には「世間」が知っている「具体」がつまっている。読者がそれぞれの体験を、その「抽象」に投げ込むようにしてことばを読む。あるいは、ことばが読者の体験した「具体」を詩の中に引き込んでしまう。
「具体的」に描写されていたなら、読者は、この「体験」は自分のものではない、と冷めた感じで読んでしまう。「抽象」だからこそ、逆に「具体的」になる。それが「常套句」の力だ。
池澤は「六十ポンドは百二十万円である」と教えてくれている。
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