池澤夏樹のカヴァフィス(122)  | 詩はどこにあるか

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122 クレイトーの病気

 クレイトーが病気になった。「若い俳優が/もう彼を愛さない、彼を求めないと言ったから」。しかし、詩の主眼はそこにではなく、後半にある。病気を心配した「老いた召使」がいる。彼女が彼を育てた。


彼女はこっそりとケーキとワインと蜂蜜を用意して
偶像の前に置き、昔よく覚えていた
祈りの文句をとぎれとぎれに思い出して
唱える。だが彼女は知らない、
黒い神がキリスト教徒の病が治るか否かなど
まるで気にかけていないことを。


 池澤が「黒い神」につけた註釈。


キリスト教への改心が趨勢となった時に古い偶像崇拝がどういう運命を辿ったかにカヴァフィスは強い関心を寄せている。背教者ユリアヌスに関わる詩が多いのもその現れだろう。この異教の「黒い神」は明らかに拗ねている。


 「拗ねている」はなんとも人間臭い表現だが、たしかにギリシャの神の方がキリスト教よりは人間臭いだろう。嫉妬もする。
 私の印象では、ギリシャの神はみんなわがままだ。自分のことしか考えない。
 そのことをカヴァフィスは、どう考えていたか。
 私は、自己中心的なギリシャの神をカヴァフィスは肯定していると感じる。人間なんか、どうだっていい。どうせ死んでいく。人間の病気なんか、気にかけるはずがない。もし気にかけるものがあるとするならば、「ドラマ」そのものを気にしただろうなあ、と思う。だれが、だれに対して何をするか。その結果、世界(人間関係)がどうかわるか。これは、見飽きることがない。ギリシャの神は、それを「娯楽」のようにながめている。
 というところからこの詩を見つめなおすと。


思うに彼は既に
心疲れていた。友人が、若い俳優が
もう彼を愛さない、彼を求めないと言ったから。


 この二連目の方がカヴァフィスの詩にとっては、やはり重要なのだ。どうして病気になったか。もし単なる熱病ならカヴァフィスは詩にはしなかっただろう。ギリシャの神を登場させなかっただろう。「主眼」をわざとずらしている。そういうおもしろさが隠されている。
 



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