池澤夏樹のカヴァフィス(104) | 詩はどこにあるか

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104 アカイア同盟のために戦った人々


勇敢に戦ってけだかい死をむかえた人々よ、
常勝の軍を前にしてなお恐れを知らぬ男たちよ。
敗北の責と諸君にではなくディアイオスとクリトラオスにある。
ギリシャびとは誇りを口にせんとする時、諸君について
《かかる男らをわが民は産した》と言うのだ。
このような讃辞の高みに諸君はある。--


 池澤の註釈。


 ギリシャ古典文学において碑銘は大きな要素を占め、その盛観はギリシャ詩華集などに見ることができるが、これはカヴァフィスによる模作。


 この作品に限らず、カヴァフィスの「墓碑銘」はみな「模作」だろう。模作することでカヴァフィスは、何を引き継ごうとしたのか。


《かかる男らをわが民は産した》


 これは引用を意味しているのだと思う。引用することで、カヴァフィスはギリシャ語の文体を引き継いでいる。カヴァフィスはシェイクスピアのように、ひとびとの「慣用句」を引用する。そうすることで「ひとびと」になる。
 原文がどういうものか知らないし、読んでもわからないのだが、《かかる男らをわが民は産した》の「産した」という訳語はとても強い。日本語でも墓碑銘を書くときは、「和語」ではなく「漢語」の響きがあることばを選ぶだろうなあ、と思う。「古典」へ帰る。そうすることで自分たちが何者であるかを確かめる。ことばには、そういうことを支えてくれる力がある。「文体」にも。

 余談だが、きのう発表になった新元号「令和(れいわ)」は奇妙な「日本語」だ。万葉集から取ったというが、その文章の「原典」は中国の古典を踏まえているとも言われている。
 奇妙と感じるのは「ら行」からはじまるからだ。私の耳は、どうもついていけない。せめて「りょうわ」なら読みやすいし、聞きやすいと思う。「音感」というのはひとによって違うから、何とも言えないが。
 池澤の訳の「産した」は「産んだ」でも意味は同じだが「さんした」の方が響きが言い。耳の中に、ことばがすっと立つ感じがする。






 


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