新元号と国会の関係は? | 詩はどこにあるか

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新元号と国会の関係は?
             自民党憲法改正草案を読む/番外251(情報の読み方)

 2019年03月30日の読売新聞朝刊(西部版・14版)1面の見出し。

新元号の発表手順決定/11時半会見 正午首相談話/4月1日/有識者会議午前9時半

 この見出しだけではわからないが、記事ではこう書いてある。

午前9時半から、有識者による「元号に冠する懇談会」を官邸で開き、意見を聴取する。午前10時20分頃から、衆院議長公邸で衆参両院の正副議長の意見を聞く。その後、官邸で開かれる前閣僚会議での協議を経て、新元号を定める政令を閣議決定する。

 結局、だれが決めるの? 有識者会議のとりまとめ役は誰? 司会というか、進行はだれが担当? 有識者のひとり? それとも「政府関係者」? 衆参両院の正副議長は国会の代表だから意見を聞くのは当然だけれど、だれが聞くのかな?
 私がほんとうに知りたいのは、そこだな。司会というか、進行役の進め方で、議論はまったく違うものになるだろう。
 さらに、今回の動きの中でいちばん不可解なのは。
 新元号を何にするのか、どうして国会で審議しないのかということだ。
 天皇を生前強制退位させる日にちがきまっている。翌日から新元号というのもわかっている。新元号を決める時間はたっぷりある。昭和が平成に変わったときとはまったくちがう。平成に変わったときは、天皇が死んだ。それから国会で審議していたら翌日から新元号というわけにはいかない。ところが、今回は時間がある。それなのに国会で審議しない。
 これって、おかしくないか?
 なぜ有識者会議が審議して、国会では審議しないのか?
 生前強制退位のときも有識者会議のようなものが先行したが、一応、国会でも審議した。今回、国会で審議しないのはなぜ?
 これは「天皇制」の安倍による私的利用というものではないのか。

 3面には解説記事がある。見出しは、

改元「丁寧さ」腐心/発表手続きに2時間 皇室へ報告

 丁寧さを心がけるなら、なんとしても国会審議だろう。
 「皇室への報告」ということに関しては、こんな記事がある。

報告の場で元号案について陛下や皇太子さまの意見を聞けば、元号選定に皇室が関わったことになる。その場合、「天皇の政治的権能を禁じる憲法に違反するおそれがある」(政府関係者)

 では、事前に報告することで、あたかも天皇の「了承」を得たように装うのは、天皇を政治利用することにならないのか。
 
 機密保持を徹底/選定過程 公文書に

 という見出しで、こんなことを書いている。

 政府は新元号が事前に漏れることを警戒している。静かな環境で発表できなければ、「新元号に傷がつく」とみているためだ。

 私は、これがまったく理解できない。
 「新元号に傷がつく」って、どういうこと?
 安倍の口癖の「静かな環境」ということばが、ここにも出てきているが、新元号をどうするかを国会で審議すればだれもが納得するだろう。すくなくとも国民が選んだ議員が審議して決めたのだから。
 国会で審議したり、一般国民があれこれ自分の意見をいうことで、元号にどうして傷がつくのか。もし傷がつくとして、それはいったいどんな傷なのか。
 民主主義なのだから、だれもが意見をいう。うるさく審議するというのがすべての基本だろう。
 元号の「出典」を観衆の「中国の古典」から「日本の古典」にまで広げるということが安倍の一言できまるという方が、物騒だろう。
 いまの日本の静けさは、物騒な静けさであって、健全な落ち着きではない。

 改元をいつにするかが問題になったときも、「静かな環境」を持ち出し、「統一地方選後の5月1日」に決めたが、これも政治利用だ。4月1日に新元号を発表し、安倍が談話を出すのだとすれば、国民の多くが新元号と安倍の発言に注目する。選挙の前に、視線を安倍に、つまり自民党に集める。これ以上の宣伝効果はない。
 天皇を利用し、議論封じと選挙運動を効果的に進める。これが安倍の手法だ。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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