池澤夏樹のカヴァフィス(90) | 詩はどこにあるか

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90 デーメートリオス・ソーテール(前一六二~一五〇)


ああ、シリアへ行きさえすれば!
彼はあまり幼くして国を離れたので
国のさまはおぼろげにしか憶えていない。
けれども彼の思いの中では祖国はいつも
神聖にして、畏敬の念をもって近づくところ、
とりわけ美しい場所、ギリシャの町と
ギリシャの港の光景のように、映っていた--


 ギリシャの町、港を直接「美しい光景」として描くのではなく、主人公の「想像」として描いている。「美しい光景」ではなく、美しい光景を「想像する」という精神の動きに焦点があたっている。
 実際の光景ではなく、想像する精神。そこにカヴァフィスは、自分自身を重ねているのだろう。
 カヴァフィスはいつでも「対象」ではなく、対象を思い出す(想像する)精神の美しさを書いている。それは「想像する力」を描くということになる。
 「ギリシャ」を繰り返すことで、想像力を駆り立てている。そこに切なさというか、切実さを感じる。

 池澤の註釈。


カヴァフィスは一つのもくろみが結局は失敗に帰した場合をくりかえし扱っている。本質的なところで敗者への共感のようなものがある。


 好みの問題だが、私は「敗者への共感」というものは「理性的(論理的)すぎる」と思う。「抒情的すぎる」と思う。
 私は、センチメンタルよりも、ロマンチックなものが好きだ。「理性/論理」でことばを整えるよりも、美しいものを美しいという理由だけでつかみとる視線が好きだ。美しものなど思い出している場合ではないのに、美しいものを思い出す、という理不尽な精神の動きの方を信じる。
 思うに、感情を「理性/論理」で整えるのは、精神の衰弱である。無軌道に突き進んで言って、たどり着いてみれば「荒々しい道(強い道)」が後ろに残っていた、という感じが好きだなあ。


 


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