白鳥信也「東名運河」、小川三郎「波紋」 | 詩はどこにあるか

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 白鳥信也「東名運河」の書き出し。


水路はなめらかで静まっている
ここで
酷薄ななめらかさで静まっている
と書けば
私がここで過ごした時間と意識が
水に投影される


 「酷薄な」ということばが「時間と意識」ということになる。たしかに書けば、それは明確になる。しかし書かなくても、「時間と意識」は投影される。「静まっている」のなかに、すでに「時間と意識」は動いている。
 詩人は、書くか書かないかの間で揺れる。
 どこまで書くか。書いた「時間と意識」をさらに事象に変化させ、そこからもう一度「時間と意識」を書き、重ねていく。
 そうすれば時里二郎の文体が動き出すかもしれない。メタ言語をさらにメタ言語化する。メタ言語を増殖させ、自律運動にまで高める。このとき論理的であることを忘れなければ。
 このメタ言語化の過程で、ことばを「脱臼」させれば江代充になる。(貞久秀紀、かもしれない。)
 こういう世界はおもしろい。だから、いまは、こういう書き方が「主流」だ。

 一方、その逆もおもしろい。
 意識を投影しない。投影した意識を剥がしていく。「もの」をものとして存在させる。
 小川三郎の「波紋」に、そういうことばの運動を感じる。


池に浮かんだ蓮の下を
鯉がくぐって
夜が明けるのを待っている。

時間はゆっくり
朝の方へと
動いている。

私はできれば灰になりたい。

夜が薄まりはじめると
花は徐々に色をふるわせ
ゆらゆらとする。

朝だ、と
つぶやく声が聞こえる。

鯉は深く息を吸って
夜闇と一緒に消えていく。


 「吸って」「消えていく」。ほかのことばにも「時間と意識」は動いているが、このことばのなかで「肉体」そのものが動くからなまなましい。小川は鯉を見ているのか、鯉になってしまったのか。
 書くことは自分ではなくなることだから、鯉になったのだ。




*

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