池澤夏樹のカヴァフィス(33) | 詩はどこにあるか

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33 ヘレネスの友


刻銘は例の如くギリシャ語で、
表現は誇張や尊大を避けるよう--
穿鑿とローマへの報告に汲々としている
地方総督に疑いを抱かせぬことが肝要--
とはいえ我が名誉は表してもらいたい。


 王冠に何を刻むか、悩む王。誇りたい、でもにらまれたくない。「とはいえ」がとても効果的だ。感情が、論理の中に凝縮している。


裏側にはなにか特別なものが欲しいところだが、
若くて綺麗な円盤投げの選手などはどうだろうか。


 ここはカヴァフィスの思いが代弁されているのだろう。「若くて綺麗な」の「綺麗な」があいまいかもしれない。「綺麗」というとき、目は何をみているのか。「円盤投げの選手」だから、しなやかな肉体の動きを指しているのだと創造するが、「綺麗」と呼ぶものかどうかわからない。王は何を欲望しているか。
 この王は王冠に「ヘレネスの友」と刻むことを欲している。その根拠として、


それにまた、我々のもとにはしばしば
シリアのソフィストたちやら詩を作る者、
その他いろいろな役立たず共がやってきおる、
すなわち、我々とてヘレネス的なものと無縁ではないのだ。


 と言う。これに対し、池澤は


その根拠は最後の四行に見るとおり相当に薄弱である。


 と書く。さて、この「根拠薄弱」をどう読むべきなのか。私は「薄弱」だからこそ、おもしろいと思う。王の欲望の強さが出ている。「すなわち」ということばは「とはいえ」と同じように、非常に速い論理だ。
 カヴァフィスは歴史を題材に詩を書くが、その登場人物は書かれた瞬間、遠い過去に存在するのではなく、私のすぐそばにやってくる。とても速いスピードで。「速い論理」がそれを可能にする。カヴァフィスの「知性」の力が、遠くのものを瞬間的にそばに引きつけるのだ。
 「根拠」に詩人を入れているのは、「ヘレネス」の人、カヴァフィスの自負だ。



 


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