池澤夏樹のカヴァフィス(31) | 詩はどこにあるか

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31 イタケー


怒れるポセイドーン、などを恐れるな。
彼らがおまえの旅路に立現れることは決してない、
選びぬかれた感情がおまえの
精神と肉体に触れているかぎり。


 これをさらにカヴァフィスは言いなおす。


荒狂うポセイドーン、などに会うことはない、
おまえが魂の中に彼らを宿していないかぎり、
おまえの魂が眼前に彼らを立たしめないかぎり。


 このことばを読むと、私は「おまえ」になった気持ちになる。「気迫」がすべての危険を遠ざける。あらゆる危険は「魂/感情/精神」が招き寄せる。ギリシャの「集中力」がこういうことばを言わせるのだろう。
 詩の最後。


彼女の貧しさにおまえは気付くかもしれないが、イタケーはおまえ
 をあざむいたのではない。
多くの経験によって賢くなったおまえは、
その時知るだろう、イタケーが何を意味するかを。


 ここがとても「弱く」感じる。この部分について、池澤はこう書く。


この「イタケー」は複数で示され、この詩の主題の一般性を示している。


 私は池澤の「一般性」に、またつまずく。何を言いたいのか、わからない。私は自分が「おまえ」になったつもりでこの詩を読んでくる。そして、そこに「複数のイタケー」があらわれるなら、それは「おまえ」が一人ではなく、複数ということではないだろうか。この詩を読んでいる私の以外の誰かも「おまえ」になっている。そのひとはそのひとの「イタケー」を知るということなのかもしれない。
 「一般化」というよりも、「個別化」されるのではないか。あらゆることを個別のこと、自分自身のことと受け止めるのが詩(あるいは文学)なのではないだろうか。あらゆることが自分の問題であるということを池澤は「一般化」と呼んでいるのかもしれないが、私はむしろ「個別化」と読みたい。







 


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