池澤夏樹のカヴァフィス(29) | 詩はどこにあるか

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29 イオニア風


我々が彫像をみな打ちこわしたとて、
神殿の外へ追いはらったとて、
神々が死にたえたわけではない。
おお、イオニアの地よ、神々はまだおまえを愛している、
彼らの魂はまだおまえを憶えている。


 池澤はこういう注を書いている。


「我々」というのはキリスト教徒。彼らによる偶像破壊の後の話で、話し手は、背教者ユリアヌスのように、古代の神々に対する共感を持っている。


 この注を読むと、五行目の「彼ら」というのはキリスト教徒のように感じられる。そうなのだろうか。カヴァフィスは「神々」を「彼ら」と言いなおしているのではないのだろうか。原文はどうなっているのかわからないが、池澤はなぜ「彼ら」と訳したのだろうか。「神々」ということばが重複するのを避けたのだろうか。しかし、「神々」はすでに三行目と四行目で重複している。


八月の曙がおまえの上にひろがる時
その大気の上を彼らの生の若さが行き過ぎる。
そして時にその霊妙な青春の容貌が、
速やかに、おぼろげに、おまえの、
連なる丘の上を飛翔する。


 この部分には、池澤は、こう書く。


神殿を出て野を走る神々は若く、


 「彼ら」は「神々」であると認識している。なぜ「彼ら」ということばを選んだのだろうか。注でキリスト教徒を「彼ら」と呼び替えたのはなぜなのだろうか。注に「彼ら」とつかっても、本文の「彼ら」とは混同しないと思ったのか。
 よくわからない。
 「彼ら」ではなく「神々」の方が「生の若さ」、次の行に出てくる「青春の容貌」を際立たせると思う。若々しい肉体を持った「神」というのは強烈な輝きを持っている。









 


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