池澤夏樹のカヴァフィス(25)  | 詩はどこにあるか

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25 三月十五日

 池澤は書く。


 現題は「三月のイデス」で、イデスは一か月のまんなか。三月の場合には十五日をさす。
 主題は無論カエサルの暗殺である。(略)ある予言者は「三月のイデスに用心せよ」と言ったが、その日カエサルは警告を無視して元老院におもむいた。(略)暗殺計画を知ったアルテミドーロスなる哲学教師がその詳細を書いた手紙を登院する途中のカエサルに手渡したが、彼はそれを読まずに、手にしたまま元老院に行って殺された。


 このことを踏まえて、カヴァフィスは書いている。


仕事もすべて後まわしにせよ。ほかの者も
挨拶も会釈もみな無視するがいい、
(彼らにはまたあとで会える)。元老院さえ
待たせるに支障はない。ただちに読むがいい、
アルテミドーロスの重大な知らせを。


 池澤の注を読み、印象に残るのは何だろうか。暗殺計画を教えてくれる者があったのにカエサルは無視した。そのために死んだ、という「事実」を書いているという印象が強くなる。
 その通りなんだろうけれど。
 私がいちばんおもしろいと思ったのは、でも、そういう「事実(歴史)」と舞台裏ではない。もう一歩、踏み込んだところ。


(彼らにはまたあとで会える)


 これは誰のことばだろうか。アルテミドーロス? それとも、「事実」を知ったカヴァフィスのことば? カヴァフィスだろうなあ。だとしたら、この括弧に入ったことばは何を意味しているのだろうか。なぜ、わざわざ括弧に入れて書いたのかなあ。
 たぶん、カヴァフィスは自分自身に言い聞かせているのだ。誰かに会いたくても、もし、忠告する人がいるならその忠告に従い、会うのは後回しにしろ。忠告は「いま」しか存在しない。「彼らにはまた会える」。
 でも、カエサルはどう思ったか。「彼らにはまた会える」かもしれない。けれど「いま会いたい」。
 ここにも「禁じられた恋」が隠されている、と読んでみたい。




 


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