池澤夏樹のカヴァフィス(20) | 詩はどこにあるか

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20 単調


単調な一日の後に
寸分も変らぬ単調な日が続く。また


 と始まり、


月が過ぎ、別の月をもたらす。
やってくる歳月を見通すことはたやすい、
昨日の退屈が再び来るだけのこと。
そして明日はついに明日であることをやめる。


 最後の一行が強烈である。「明日であることをやめる」とは、どういうことか。「明日」は何になるのか。「昨日」になるのだ。そのとき「昨日の退屈」はほんとうに「退屈」だろうか。あるいは、ほんとうに「昨日」なのか。
 この詩には「昨日」「明日」ということばは書かれているが「今日」ということばは直接的には書かれていない。しかし「単調な一日」ということばであらわされている。
 そう考えると、「そして明日はついに明日であることをやめる。」は「そして明日はついに今日になる。」だろう。
 ずーっと「今日」なのだ。「今日」しかないのだ。時間は過ぎ去る。時間はやってくる。でも、それは「今日」でありつづける。

 この詩にはカヴァフィスの「自註」があるのだが、それについて池澤はこう書いている。


彼の自註というのは晩年になってから若いに友人語ったことの筆記であり、執筆のときからは三十年を経ている。


 なぜ、こういう注を池澤は付けたのか。わからないが、カヴァフィスにとっては、「三十年」という時間は意味がないと私は思っている。彼には「今日」しかない。詩にそう書いてあるのだから。「三十年」という時間を固定してしまうと、なんとも味気ない。
 私はむしろ、「明日」になったらつけたいと思い続けた「自註」ではないかと思う。明日は永遠にやって来ない、きょうがあるだけなのだ、と。
 どういう「自註」であったかは、あえて引用しないが。


 


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