池澤夏樹のカヴァフィス(16) | 詩はどこにあるか

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16 欲望


壮麗な廟に安置された美しい肉体--
満たされることなく過ぎた欲望は
そのようなもの。一夜の快楽も許されず
輝く朝を一度も知らぬ間に。


 池澤の書いている注釈がわからない。


 この詩はたった一つの比喩からなりたっている。すなわち満たされずに過ぎた欲望は美しい死体。ここに言う欲望とは恋の望みの肉体的側面。比喩が一目瞭然でないだけに、その真の意味の方へと想像力をうながす。


 「そのようなもの」と明確に書いているから、「比喩」は一目瞭然である。
 わかりにくいのは「美しい」の定義だ。ほんとうに「美しい」のか。
 「美しい」ものは「輝く」ものである。「輝き」を「知らぬ」とは、「輝き」を自分のものとしてもったことがないということだろう。輝くものに出会ったとき、ひとはその輝きそのものになる。輝くものが美しいのではなく、輝きを見つけた人が美しいのだ。
 そういう瞬間を知らないなら、それは「美しい」とは言い切れない。
 むしろ「むなしい」肉体ではないのか。反語なのだ。つまり、否定を含めた比喩なのだ。
 だからこそ、「むなしい」の反対のことば「満たされる」が次の行に出てくる。一夜の快楽、それさえも味わうことなく(満たされることなく)死んでしまうのは、「むなしい」。「美しい」というのは、カヴァフィスではなく、他人の評価にすぎない。それを批判している。

 他人に評価されなくても、一夜の快楽の中で燃え上がればいい。
 「美しい死体/むなしい死体」を見て、カヴァフィスは、そう思っているのではないのか。もし、恋の快楽に身を任せていたら、恋人の記憶の中で、その肉体は生き続け、輝いているだろう。
 そう思い、「美しい」死体を悲しんでいる。