高橋睦郎『つい昨日のこと』(134) | 詩はどこにあるか

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134  怠惰


北にも 南にも 微笑の影で牙を剥く国国
東には つねに虎視眈々と侵入の機を伺う大国
海上はるか西には まさに勃らんとする僣主たち
その緊張の中で アテナイの詩は磨かれ 輝いた
とすれば 今日の私たちの怠惰は 謗られて当然
四方をひしひし 怖ろしい敵に囲まれながら
自己満足か仲間向けの非詩を 濫作するのみ
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 古代アジアと現代日本を対比しながら、現代の日本の詩を批判している。「論理」が動いている詩である。「とすれば」ということばが「論理」を際立たせている。
 アテナイの「詩」に、現代日本の「非詩」が対比されている。「詩」とは書かずに「非詩」とわざわざ否定している。これも「強調」である。
 こういう「論理の強調」(観念の強調)は、味気ない。
 論理や観念を読みたくて詩を読むわけではない。むしろ、論理にならないもの、観念に抽象化されないもの、「具体的」なままの存在に触れたくて詩を読む。