高橋睦郎『つい昨日のこと』(69) | 詩はどこにあるか

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69 ギリシアは永遠


彼らの日常 実効支配したのは オリュンポス社交界のお歴歴ではない
名もない災いの神神か 顔のない復讐の女神たち いずれ卑しい魍魎ども
それらは決った社を持たず 路地裏や家の中の闇を絶えず徘徊していた


 「光のギリシア」ではなく、「闇のギリシア」、言い換えるなら情念のギリシア、バッカスのギリシアか。
 高橋は、こう要約する。


われらの中でギリシアは永遠 とりわけ闇の 病んだギリシアは


 この詩でも「闇」と「病んだ」がわからない。
 高橋の「肉体」をとうして具体化されていない。意味(主張)は「頭」ではたどることができるが、「肉体」に響いてこない。
 いくら「闇」「病んだ」と書かれても、そこに引き込まれて逃れることができないという苦悩と、苦悩と共にある愉悦が伝わってこない。

 どうしてこんな詩を書いたのだろうか。