ESTOY LOCO POR ESPANA(9) (番外)(日本語) | 詩はどこにあるか

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ホアキンの教会

 あとから、やっとわかることがある。
 6月にホアキンのアトリエを尋ねた。そのあと、ホアキンが村を案内してくれた。村外れに教会があった。小さい教会だ。ファサードは「絵」だ。壁にファサードが描かれている。
 誰が聖人として祀られているのか、どういう歴史があるのか、ホアキンが説明してくれた。私はキリスト教信者ではないので、あまり注意せずに聞いていた。
 印象に残ったので、写真を一枚撮った。

 先日、その教会の写真をフェイスブックで見た。祭があって、人が集まっている。花火が上がっている。
 それを見て、はじめて気づいた。
 この教会はホアキンにとって大切な教会なのだ。村人にとって、大切な宝物なのだ。

 こんなことも思った。
 ホアキンの作品をフェイスブックで見たとき、不思議な強さを感じた。普通の鉄の彫刻と何かが違う。何が違うのだろう。写真ではわからない。
 ホアキンのアトリエを尋ねて、わかったことがある。ホアキン一族は鉄工所を経営している。鉄を加工することで暮らしてきた。ホアキンにとって、鉄は暮らしそのものだったのだ。ホアキンは鉄を知り尽くしている。そのことがホアキンの作品を支えている。
 そのことを、いま、また思い出した。
 教会の正面を飾る絵。そこには村人の暮らしが生きている。豪華なファサードをつくることはできない。でも美しいファサードにしたい。そう思って描いたのだ。
 暮らしの中で、美しいものをつくる。暮らしを美しくする。
 この精神は、ホアキンの村の精神なのだ。ホアキンだけのものではなく、ホアキンの村の生き方なのだ。そういう環境の中で、ホアキンは自分にいちばん身近な鉄をつかって彫刻をつくり始めた。彫刻のなかには、ホアキンの個人史だけではなく、村の歴史が生きている。それがホアキンの作品を強くしている。

 ホアキンが教会を案内してくれたときは、気がつかなかった。祭の話も聞いたが、ぼんやりと聞いていた。実際に祭に集まった人の写真を見て、あ、あのとき祭の話をしてくれた、と思い出した。そして、その瞬間に、この教会の美しさがわかった。
 村といっしょに生きている。ホアキンといっしょに生きている。

 これまで私にとっていちばん美しい教会は、バローリス(フランス)にある教会だ。ピカソの壁画「戦争と平和」が内部の壁面に書かれている。そこに行かないと見ることのできない絵がある。しかも大事な絵だ。
 いま、そのピカソの教会よりも、ホアキンの教会の方が美しく感じられる。大事なものに感じられる。世界でたったひとつの、ホアキンが愛している教会だ。ホアキンの村人が愛し、育てている教会だ。

 スペインは偉大な芸術家を生み出している。ピカソ、ミロ、ダリ、ゴヤ、ベラスケス、エルグレコ……。6月の旅では、ゴンサレスやソロージャの作品もたくさん見た。
 芸術が暮らしに根付いている。だから、ホアキンの村人も、ファサードを絵で飾ることができた。
 スペインの力というものが、いま、急にわかった気がした。なぜ、こんなにスペインの美術に惹かれるか、その理由がわかった気がした。