45 谺
このちっぽけな砦址が 難攻を謳われたトロイア
十年攻めあぐね 奸計でようやく落ちたイリオン
こう書くとき、高橋のことばはどんな「奸計」をたどっているのか。「どんな」が見えてこない。
彼らの雄叫び 彼女らの嘆きの声は いまも虚耳に谺する
この「谺」が私には聞こえない。「谺」はほんらい自分が発した声が跳ね返ってきたもの。高橋は、どんな声を引き継ぎ、それを発したのか。どんな欲望を叫び、それが跳ね返ってきたのか。「どんな」はここには書かれていない。ただ「谺する」という現象だけが書かれている。「虚耳」ではなく、「谺」そのものが「虚」であり、「耳」がそれを捜している。
見はるかす戦さの野に 波を立てるのは いちめんの青麦
叙事詩の海ははるか沖へ逃げて退って 二千年 三千年
これはどうみても「現実の眼(肉眼)」に見える「幻」である。「虚眼」にみえる「現実」ではない。
一方に「虚耳(肉耳ではない)」という非現実と「谺」という現実があり、他方に「肉眼(虚眼ではない)」という現実と「比喩としての海(幻)」があるというのでは、「肉体」そのものの「場」がない。
耳と谺、眼と野(海)のどれが「虚」で、どれが「実」なのかわからない。すでに「叙事詩の海」は比喩である。すべては融合している。そこには虚と実を結ぶ「時」がある、と、しかし高橋は言いなおすのだ。「二千年 三千年」という「時」がある、と。