高橋睦郎『つい昨日のこと』(33) | 詩はどこにあるか

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33 旅 ボイオティア

 「旅」とあるが、単純な旅ではないだろう。兵士の帰郷を思わせる書きぶりである。


一休みして立ちあがり また歩きだす
趾の先先 日の照りつける まぶしい道
歩く者の影は 乾いた土に吸われつづける


 読むだけで、歩いている人の疲れが伝わってくる。水ではないのだから、人間の影が「乾いた土に吸われ」ることはないだろうが、そんなふうに見えてしまう。
 歩み、人間の痕跡が消えていくというのは敗北だ。
 高橋は、戦いで疲れ切った兵士になって歩いている。分かち書きが、疲れ切った兵士の息遣いのようにも聞こえる。
 ソクラテスを書いた詩には「共感」が感じられなかったが、この詩には共感がある。


歩き疲れた爪先に いつか夕暮れが来る
歩き止めて食事を摂り 身を伸べるときだ


 「伸べる」という動詞に実感がこもる。それまで肉体は緊張で縮んでいた。それを伸ばし、広げる。この感じをもう一度高橋は言いなおしている。


眠りの中で 死者たちと睦み和むときだ


 「睦む」と「和む」。自分の肉体を伸ばすだけではない。伸ばした肉体から、その内部から「自分」そのものが出て行く。自分ではなくなってしまう。そういう時間がないと、人間は生きてはいけない。