オウム死刑囚の死刑執行と杉田議員の発言 | 詩はどこにあるか

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オウム死刑囚の死刑執行と杉田議員の発言
             自民党憲法改正草案を読む/番外218(情報の読み方)

 オウム事件の死刑囚13人の死刑執行が二回に分けておこなわれた。自民党の杉田水脈はLGBTについて「生産性がない」という論を展開した。ふたつのことは、私には深い関係があるように思える。
 キーワードは「生産性」である。
 杉田は「子どもを作らない、つまり生産性がない」と言っているのだが、「生産性」は子供を産むかどうかだけではないだろう。(こどもを作る作らないということに限って言えば、麻原にはこどもがいたから「生産性」があるということになる。そういう人間を殺すのは論理矛盾になる。)
 杉田の「生産性」は自民党の改憲案(2012年のもの)と結びつけて読んでみる必要がある。
 改憲案の前文にこう書いてある。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

 「活力ある経済活動」が「生産性」である。それはまた「国を成長させる」と言いなおされているのだが、「国の成長」を「経済の成長」と限定しているのが、自民党の改憲案のいちばんの特徴である。
 経済発展が国の発展である、というのが自民党の国家に対する定義である。
 「主語」は「我々は」になっているが、まやかしである。自民党の改憲案には国家を成長させるために、国民をつかう(支配する)ということしか書かれていない。
 現行憲法と比較すればわかる。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 現行憲法は、「われら(国民)」について定義しているが、国家が経済的に成長するかどうかは問題にしていない。

 杉田の「生産性」が「子どもをつくる」かどうかに限定されているのは、子どもは将来の労働力だからである。子どもが生まれなければ労働力がなくなる。それでは何も生産できない、ということを出発点にしている。
 しかし、子どもの有無だけについて限定してしまえば、安倍首相夫婦には子どもがいない。「生産性」のない人間が首相をやっている。国をリードしているというのは、論理的におかしなことになってしまうだろう。麻原を死刑にしたのと同様、論理矛盾を引き起こす。
 さらに、LGBTのふたりにしても、子どもをつくることは可能だ。実際に、女優のジョディー・フォスターは子どもを産んでいる。これも現実に合致しない。

 杉田発言は人権意識がないということとは別に、もう一つの大問題を抱えている。
 「生産性」のない人間を国家が支援するのはおかしい、という論理は、子どもを作るかどうかだけに適用されるのではない。
 たとえば、安倍には子どもはいないが、政策を立案し、国家を成長させるという「生産性」をもった人間である、だから国家が給料を払う価値があるという「論理」が成り立つ。(私は、その論理には賛成しないが、論理であることには間違いない。)
 一方、オウム事件の死刑囚は、どうか。死刑囚であっても、なぜ、そういう事件が起きたのか、再びそういう事件が起きて、経済活動が混乱しないようにするためにはどうすればいいのかを究明する--という論理を展開していけば、そこに「生産性」につながる思考が生まれてくるが、杉田や自民党はそうは考えないだろう。
 死刑囚なのに死刑にせずに税金で生かし続けておくのは無駄遣いである、「生産性」がないということなのだろう。

 ここからは、おそろしい「論理」が動き始める。
 「生産性」(生産力)のない人間は死刑にしてしまえという論理が絶対に動き始める。老人は生産力がない。老人が生きていれば、年金をはらわなければならない。原資は逼迫している。年金の支給期間を減らしてしまえ、餓死に追い込めばいい、ということになりかねない。病人も同じである。病院で治療するから医療費の支出が増える。生産性に貢献できない人間は治療をやめてしまえということになる。そのときは「安楽死」ということばが利用されるに違いない。
 この老人や病人に対する「消極的死刑」は、さすがにむずかしいだろうが、こういう場合はどうだろう。
 安倍批判をしている人間がいる。金持ちだけがさらに裕福になる政策を批判している人間がいる。放置しておくと、安倍の政策が実現されなくなる。安倍批判は犯罪であるという法律をつくって、逮捕し、考えを改めないなら死刑にしてしまえ、ということになりかねない。
 そんなことは起こり得ないと思っている人が多いが、私は、とても心配している。
 今回の杉田発言をめぐって抗議している人に向かって、「そういうことをしていると就職できないぞ」と威嚇する発言をネットで見かけた。実際に、安倍批判をすると職を失うのではないか、就職できないのではないかと不安を抱えている人がいる。
 すでに、安倍の望む「生産性」に適した人間を選別するということが始まっている。
 「死刑」という形はとっていないが、思想の自由を抹殺している。

 いまいくつかの自治体でLGBTへの支援が始まっているが、支援されている人の情報が、国家規模での政策の遂行に逆に利用されるということが起きないか。それも私は心配している。杉田の論に与する形で、LGBT支援は違法という法律をつくり、自治体をとりしまる。そのとき、だれを支援したのか、その情報を国に寄越せ、と言ってきたとき、言われた方の自治体はどこまで抵抗できるか。人権をまもる行動をとれるか、私は心底心配している。

 「生産性」をキーワードにして現実を見ていくと、ほかのことも見えてくる。
 「カジノ法」が成立したが、「カジノ」の「生産性」とは何か。カジノは何も生み出さない。金がただ動くだけである。金を分配するとみせかけて、胴元がもうかるのがギャンブルである。その胴元のもうけを安倍がかすめとっていく。
 「生産性」とは、安倍にどれだけ金をもたらすか、ということなのだ。
 安倍には子どもがいないが、それは問われない。安倍の「生産性」は棚に上げておいて、安倍にどれだけ金を貢ぐことができるか、が「生産性」の意味するものなのだ。



#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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