若い日の悪業すら その無残な結果すら
ひそひそ話にもせよ 語られなければ
きみの一生は いったい何だったのだ
語る、とは何か。人は「きみ」の「みじめな死」を語る。きみの人生が語られる。ことばを通して、人は、きみの人生を知る。きみの代わりに、ことばが生き始める。
直前に、
死んだことすら 誰にも知られないよりは
という一行がある。
語られたことを聞いて知るだけではなく、語られたことを語り継ぐことで人はきみを深く知る。自分のものにする。語る人は、語ることで、きみを生きなおす。きみになる。
ことばのなかに、きみが生きる。きみが、ことばになって生きる。
このとき、きみとことばは同じか。
同じに見えるが、違う。
きみは死んでしまってここにはいないが、ことばは生きている。語られることで、きみは「不死」を手に入れる。
「一生」は、こうやって「永遠」になる。
この詩のなかでいちばん重要なのは「語る」という動詞だ。