20 詩はどこを……(嵯峨信之を読む) | 詩はどこにあるか

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20 詩はどこを……

詩はどこをさまよい歩くのか
自分に帰るために 自分から遠ざかるために
夜はぼくの心のなかに眠る

 「さまよい歩く」の主語は「詩」である。「帰る」「遠ざかる」という反対の動きをする主語は何か。やはり「詩」である。だから二行目の「自分」というのは「詩」そのもののことである。
 三行目は、ゆっくり読みたい。唐突に出てくる「ぼく」と二行目の「自分」との関係はどうなっているのか。
 「夜は」ということばは「は」という助詞のために主語のようにも読むことができる。「夜は」「眠る」。「夜」が「ぼくの心のなかに」「眠る」。「ぼくの心」は「眠る」場所をあらわす。
 でも、主語は「夜」でいいのか。
 一行目、二行目の主語は「詩」であった。三行目も「詩」が主語なのだ。
 「詩」は「夜には(夜になれば)」さまよい歩くのをやめ、「ぼくの心のなか」で「眠る」。「ぼくの心」は、では、「詩」が「帰る」場所なのか、それとも「遠ざかる」場所なのか。
 区別はつかない。

 「詩」と「ぼく」を入れ替えて、こう読み直してみるのは、どうだろうか。

「ぼく」はどこをさまよい歩くのか
「ぼく」に帰るために 「ぼく」から遠ざかるために
「ぼくは」夜は詩の心のなかに眠る

 さらに、ことばを補って、「ぼくは、詩を求めて(探して)どこをさまよい歩くのか」と読み直すと、「詩」と「ぼく」との関係はいっそう緊密になる。そして、「さまよい歩く」こと、「帰る/遠ざかる」という矛盾した動きそのものが「詩」であることもわかる。
 矛盾は、「開かれる」「閉ざされる」という形で、こう言いなおされる。

朝 木の上の小鳥が小さな咳をする
開かれる日か 閉ざされる日か





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