「現代詩手帖」2017年01月号には、年寄りじみた詩が多い。書いている人が高齢化しているということかもしれない。しかし、正月に読むには、どうも「辛気臭い」。私は俗な人間なので、正月早々、気の滅入る詩は読みたくはない。
ということで、平田俊子「ヘルスケア」。
もう
何年も寝込んだことがない
今年こそはと思うけれ
決意は毎年失意に変わる
口笛を吹いて蛇を呼んだり
水の上を走ったりは
その気がなくてもしてしまうのに
私は年末から風邪を引いて、かかりつけの病院が休診で、やっと見つけて行った病院ではいつもとは全く違う薬を処方されて、いつもの薬局も休みで、病院近くの薬局まで引き返し……さらに風邪をこじらせ、会社へは出勤はしたものの、早引け。散々な状態をひきずっているので、健康な人がうらやましい。
なぜ、平田は「寝込む」ことに憧れるのか。
寝込むと幸せになるらしい
親切な人が現れて
ひたいにきれいな氷を置いたり
片手でリンゴを握りつぶして
ジュースにかえてくれたりするらしい
ふーん。寝込むと氷が「きれい」かどうかは、わからないものだけれどね。氷がぬるい水のように感じたりする。もっとしっかり凍らせた氷はないのか、と思うものだけれど。
頭が割れたり
腕が取れたりすることはあるが
その程度では遅刻すらできない
「頭が割れる」は「頭痛」、「腕が取れる」は忙しさで「手が取られる」。「比喩」だね。そうか、「遅刻」もせずに乗り切る体力があるのか。
まあ、でも、こういうことは「軽口」の類。
「軽口」も詩なのだろうけれど。
そのリズムが自然で、小気味いいのだけれど。
感心まではいかない。
いや、わざと抑えているのかな?
三連目がおもしろい。
保険料は払っている
払いたくなくても
財布をこじ開け
月々無理やり持っていかれる
あれらはどこにいったのか
わたしのためのものではないのか
寝込めば
寝込むとき
猫屋敷
寝込んで
わたしも悪夢にうなされたい
「寝込む」の「何段活用(?)」かに「猫屋敷」がまぎれ込む。ここがおもしろい。ことばのリズムが急速にアップし、飛んでしまう。
「どうせ、詩なんだから」というと、いろんなところから(平田を含めて)、批判が返ってきそうだが、詩はどうせ現実ではないのだから、こんなふうに楽しいのがうれしい。「辛気臭い」のは、めんどうくさい。
新年号、作品特集となれば、みんなまじめな顔をして詩を書く。詩の「顔面」がみんなまじめで堅苦しい。そういうことを見とおして平田はことばをさらに軽くしているのかもしれない。
ことばの見せ方が上手だ。
あ、平田だ、と思わせる部分をしっかり書き込んでいる。
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