2016年08月04日読売新聞朝刊(西部版・14版)の2面に、「憲法改正向けた議論/野党に呼びかけ/首相」という短い記事が載っている。内閣人事の記事に隠れて目立たないが、この記事が私には気になった。(稲田の防衛相就任について書きたくて「情報」を探していたのだが……。)
安倍首相は3日の記者会見で、憲法改正について「自分の任期中に(改正を)果たしていきたいと考えるのは当然だ」と改めて実現に意欲を示した。
そのうえで、「そう簡単なことではない。(衆参両院の)憲法審査会の静かな環境の中で、所属政党にかかわらず、日本の未来を見据えて議論を深めていってもらいたい。政局のことは考えるべきではない」と述べ、野党に議論への参加を呼びかけた。
注目したことばは「任期中」と「静かな環境」である。
「任期中」はあとで書くことにして、まず、「静かな環境」。この「静かな」ということばで私がすぐに思い出したのは、先の参院選の「静かさ」だった。何度も書いたが、私は投票日の一週間前、07月03日に気づいた。そして、その「静かさ」が報道(特にNHKをはじめとするテレビ)が参院選について報道していないことから生じている、マスコミがつくりだした静かさだと気づいた。
同じことが憲法改正論議でも起きるのだ。安倍は、起こそうとしているのだ。
憲法審査会での議論(途中経過)は公開されないだろう。「密室審査会」になってしまう。したがって報道もされない。つまり国民はどういう議論がおこなわれたかを知らない。したがって、国民はそれを語り合うことができない。
「静かな環境」とは、こういうことである。国民のひとりひとりが「おれに意見を言わせてくれ」と言い始めたら、うるさくてしようがない。
しかし、「うるささ」こそが民主主義なのではないのか。
「密室審査会」では、否定された議論のなかに、もしかすると自分と一緒の考え方があるかもしれないのに、それを知ることができない。「その意見に賛成」ということができず、少数意見は「孤立意見」になってしまう。
それだけではない。少数意見は紹介されないことで、存在しなかったことになる。
これは参院選のテレビ(籾井NHK)報道の「やり口」そのままである。
重大な問題は議論を尽くす。少数意見にも耳を傾ける。これが民主主義の基本なのだが、最近の報道は少数意見を紹介しない。多様な意見を紹介しない。「多数」の意見のみを紹介する。その「多数」というのは、つくられたものかもしれないのに。
国民を締め出し、「憲法審査会」という「密室」で議論がつづけるという、この「意思表示」には、「国民は口をはさむな(国民はどうせ何もわからない)」という安倍の本音、国民は安倍の言うことを聞け、という「独裁」の姿勢が隠れている。
「任期中」ということばで気になるのは。
同じ読売新聞の2面に「天皇陛下 ビデオで「お気持ち」/8日、生前退位巡り」という見出しの記事がある。そのなかに、
「天皇の退位」について触れることになるお言葉をめぐっては、憲法が禁じた天皇の政治的な発言に当たるという意見もあり、慎重に準備を進めている。
という一文がある。
天皇が何かを言うと、それは「憲法違反」になることがある。
これを「強調」している。というか、「念押し」している。
天皇の発言には「護憲」的な要素が多い。これは安倍にとっては目障りなのだろう。それを封じたい、という思いがあると思う。
籾井NHKが「スクープ」した「天皇生前退位」問題は、この安倍の意向を汲んだものだと私は考えている。「天皇が安倍の改憲の動きに対して抵抗した」という見方もあるが、そういう「見方」そのものも安倍サイドから流されたものだろう。「天皇が安倍の改憲の動きに対して抵抗する」となれば、それは「政治的行為」であり、「憲法違反」である。天皇は「憲法違反」のことをしようとしている、と報道を通じて「じわりじわり」と、つまり「静かに」伝えようとしている。
安倍は安倍の任期中に、まず「政治的発言」をする天皇を除外し、ついで「憲法改正」を押し切ろうとしている。「生前退位」させることで、天皇の発言を封じ、憲法改正への「静かな環境」をつくろうとしている。「生前退位」を押しつけることで、次の天皇にも何かあれば退位させるぞという「圧力」をかける。もちろん、表向きは、天皇の健康に配慮してということになる。
安倍の総裁の任期、2018年09月を考えると、あと2年ちょっと。急がなければならない。安倍は、とても急いでいるのだと思う。
天皇のビデオ放映(?)が8日というのは、とても微妙だ。
6日広島原爆の日、9日長崎原爆の日、15日終戦の日(全国戦没者追悼式)と天皇が出席する重大な行事がある。なぜ、15日以降、つまり重大な「任務」のあとではないのか。なぜ、任務のあいだに、議論を呼びそうなことをあえてするのか。
これは安倍の「静かな」環境をねらう姿勢と大きく異なる。
安倍は、「天皇退位」については、「大騒ぎ」にしてしまいたいのだ。大騒ぎし、「天皇の政治的発言は禁じられている」ということを国民の意識に植えつけたいのだ。
「天皇が言っているから、安倍も天皇の意向に沿って憲法を改正するな」「天皇を尊重しろ」というにうな皇室を尊重しているひとびとの思いを、そうすることで封じようともしている。
天皇の以降を「静かに」尊重するのではなく、「大騒ぎ」を引き起こして、それを「鎮静化する」(静かにする)という方向で決着させ、そのまま「憲法改正」へ突き進むという「スケジュール」ができているのだろう。
「大騒ぎ」にするためには、日程が窮屈な方がいい。
15日以降だと、国民も報道機関も、天皇のことばの意味をじっくりと検討することができる。検討をつづける、議論をつづけるということができる。8日だと、その翌日は長崎原爆の報道をしないといけないので、「天皇退位(天皇のことば)」についてだけ集中して議論/報道ができない。その一週間後には戦没者追悼式があり、まだ、あわただしい。
安倍が単独でこういう「スケジュール」を考えたのか、だれかが指揮しているのかわからないが、参院選からの「静かさ」と「さわがしさ」の「演出」が、とても不気味である。