詩集「改行」へ向けての、推敲(7) | 詩はどこにあるか

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詩集「改行」へ向けての、推敲(7)

(51)足首

ことばは、足首になりたかった。

ぬるみはじめた池に佇む青さぎの、水につつまれた足首。
片足で立っている、その足を交代させるとき、
水の輪が足首のまわりにひろがる。
春の光をおしのけて、輪の起伏の奥に黒い色が照る。

まだ誰も書いたことのない足首、
泥をかきたてて泳ぐ亀も、藻に腹をくすぐらせている小魚も、
青さぎをみはっている白さぎさえも気づいていない。
ことばは、その足首になりたかった。











(52)さびしい、

さびしい、ということばのなかから
そいつが逃げ出した。
昼の公園で、桜の満開の下で、
悲しい、ということばのなかからだったか、かもしれない。
男が歌いながら踊っていた。
その歌のなかからだったか
かもしれない。

深夜、犬と歩いていると、犬が
みつけてくれた。
そいつは、
公園の入り口の車止めのところにいた。
街灯に照らされて、
四角い車止めの石の
四角い黒い影になっていた。
黒いのだけれど、
透明で、
そのなかに散らばった小石がみえた。
黒いのだけれど、
不思議に光っていて、
生えている草の尖った葉先が見えた。

さびしい、ということばのなかには
帰りたくない、と言った。
そいつは、











(53)「まだ可能かもしれない

「まだ可能かもしれない」という考えが間違っている。「そう自分自身に言い聞かせることをできるだけ先のばしにした」ということばがあった。
「だれのことばなのかわからなかったが、いま、私がしているのはそのとおりのことである」ということばが列に並んでいた。
「どうすることもできない苦しみがまといついてくるが、そう感じるとき苦痛ということばは甘い怠惰のようでもあった」ということばが、どこからともなくあらわれた。










(54)感情のように、

コップのなかに飲み残しの水がある。
そのくらい色になり悲しみは完結する。
ことばは安易な一行できょうを終わろうとしたが、
テーブルの下で犬は動こうとしない。

誰からの検閲を受けることもない感情のように。










(55)遅くなってしまったが、

遅くなってしまったが、
遅れていくのも悪くはない。
枝垂れ梅の枝をつたって雨が落ちる。
地面に散らばった花びらをたたく。
花びらは木のにおいに打たれながら最後の眠りを眠りにゆく。
ことばにしたいのに、ことばにならない。











(56)窓のそばに立って、

窓のそばに立って、
ことばは木が芽吹く前の匂いをかいでいた。
光の細い輪郭が直立し、影が斜めにのび、本棚にぶつかり折れた。

詩を書くことは、
そのことばの姿勢を真似することだ。

本棚にびっしりつめこまれた活字から離れ、
近づくことを許さない。

苦悩しているという小説家がいる。
沈んでいるのだといった音楽家がいる。
一度、なげやりなスケッチに閉じ込めた画家がいた。
だが、それは全部間違っている。

詩を書くことは、
遅れてしまったことばになること。
やってこないことばになること。











(57)片隅に椅子があるが、

片隅に椅子があるが腰かけてはいけない。
それは本のなかで疲れたことばが休みにくる椅子。

だれかがページを開き指でことばをなぞったとき指の下からこぼれる
ことばが

背もたれに肩をあずけ、
窓から早春の空をわたる音楽を聴く。

ゆっくり深呼吸して
違う本の中へ帰っていく。

だれも見たものはいないが、
語り継がれている椅子が片隅にある。










(58)まるであれみたいだ、

水たまりの縁がまた凍りはじめている
狭く暗い空は水の中心から逃げようとしても押し返される

まるであれみたいだ--と言おうとして
ことばは比喩のリストをめくるが
モレスキンのノートは空白。

空っぽ。向こう側が見える鳥かご。
どこからやってきたのか悲しみが一羽、とまっている。

まるで、あれみたいだ。










(59)あれではない

何が原因か書く気にはなれないが
あれではない。
あれはほんとうのことを隠すための口実だ。

自分をごますことにのめりこんでしまって、
過剰にことばと声をつかってしまって、
ふいに静かになる。

その静かさをあつめて、
さびしい、
が突然あらわれてくる。










(60)ふたりの間に、

ふたりの間に、
「また」「あるいは」が
行き交った。
具体的なことばは
けっして届くことなく、
落ちていった。
何もわからないまま、
「そうだね」
声は疲れていた。











(61)どうしても、

「どうしても」ということばが、夢のようにしつこくあらわれてきた。「破る」ということばを遠くから引き寄せて「夢のなかで本のページを破らなければならないのに、それができない」ということばに組み立てたあと「どうしても」手に力が入らない、という。
泣きそうだった。
いいわけをしているのだった。

見たのだった。「浴室」ということばといっしょ「剃刀」ということばがさびたまま濡れていた。それは、「朱泥の剥げた」鏡の裏側へつづく長い廊下へつながり、そのなかを歩いていく男は角をまがらないまま、私のなかで消えた。それは夢の本のページを何度破っても、あたらしく印刷されて増えてくる。

それから突然電話が鳴って、何を「破った」ためのなか、電話の音は夢のなかへは戻らないのだった。

























(62)破棄された詩のための注釈(21) 

「その角」はケヤキ通りにある花屋を過ぎたところにある。左に曲がると、夏は海から風が吹いてくる。花屋では季節が顔を出し過ぎる。詩人は「ドラッグストア」と書いて時間の色を消すことを好んだ。こうした「好み」のなかに、注釈は入りたがる。(彼は男色だという説がある。)

「その角」を曲がって「物語」は海の方へ駆けて行ってしまう。これではセンチメンタルすぎる。左手の公園の坂を上り、いぬふぐりの淡い桃色を見つめた視線が遊歩道に落ちて、散らばったままだったと書き直された。しかし、「淡い桃色」が気に入らなくて、その二連目は傍線で消された。したがって、印刷された本のなかには存在しない。

三連目は突然、事実がそのまま書かれる。「その角」を曲がって、駐車場の横を通り、路地をひとつ渡り、古い市場へ歩いていく。「季節を売る店」と呼ばれる何軒かが、手書きの値札をならべている。店番はラジオのなつかしい歌に低い声を重ね合わせる。

そこで物語は消える。四連目は書かれない。しかし聞いた声は耳から消えない。「物語」を破壊し、知っている短いことばは、改行を要求する。