上原和恵『ひなのかよいじ』 | 詩はどこにあるか

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上原和恵『ひなのかよいじ』(Bee出版、2016年05月23日発行)

 上原和恵『ひなのかよいじ』の巻頭の「はさみとの同化」。

冬の冷気を吸い込めるだけ吸い込み
錆びついた黒い取っ手は剥げ落ち
裁縫箱に眠り続ける裁ちはさみ
糸を切ると重たく擦れあい
握りしめたはさみの冷やかさは
私から熱を奪い去り
私の心まで冷やかになる

炉をくぐり抜けたときは
まっかに燃えさかっただろう
鋳型に嵌められ
身動きも出来なくなったのだろう
世の中の移り変わりには
目もくれず
同じスタイルを守り
じっとうずくまっている

冷たさを握りしめ
毎日毎日温めてやり
少しずつ心を開いていく
空気を切ると
空振りの音を出す
新聞の活字を軽やかに
さくさくと切り抜いていく
古くなったシーツも
ひとたちで切り裂く
私の心をどんな風に
切り裂いてくれるのだろうか

 二連目は、おもしろいな、と思う。鉄がはさみになる過程が描かれ、はさみになったあとも書いてある。特別新しいことが書かれているわけではないが、読んでいて、なんとなく落ち着く。
 一連目、三連目もおもしろいところがあるのだけれど、

私から熱を奪い去り
私の心まで冷やかになる

私の心をどんな風に
切り裂いてくれるのだろうか

 この、それぞれの最後の二行がつまらない。なぜつまらないかというと「心」が出てくるからである。詩はたいてい「心」を描いている。「心」と書かれてしまうと、何だか「心」を押しつけられた気持ちになる。
 もう一か所、

少しずつ心を開いていく

 と「心」が出てくるが、これは気にならない。
 どこが違うか。
 この「心」は「はさみの心」だからである。
 それに対して、先に引用した二か所の「心」は「私の心」。
 うーん、人間というのは「他人の心」というものを気にしないものなのだ。特に、本を読むというような、自分にとじこもりがちな人間は「他人の心」を無視する。「自分の心」のことだけを考えている。
 だから。
 そこに書かれていることばに感動したとき、ひとは「あっ、これこそ自分の言いたかったこと」と思う。こういうことを、「同化」という。作者と自分(読者)の「同化」。それも、作者をのっとる形での「同化」であって、作者にのみ込まれて「同化」するのではない。
 けっして「これは、このひとが言いたかったこと。感動した」とは思わない。
 他人のことばを読んで、「他人の心」を発見するのではなく、「自分の心」を発見したとき、ひとは感動する。
 で、「私の心」と言われると、「はい、わかりました」と気持ちが冷めてしまう。
 「私の心」と言ってしまうと、その瞬間に、詩は寸断され、詩のいのちは終わってしまう。

 ただ、はさみを書く。はさみになってしまう。そのとき、読者は作者の「心」を無視して、「はさみの心」に触れる。作者が「はさみと同化」したように、読者も「はさみと同化」できる。作者が「はさみと同化しました」と言ってしまうと、読者は「私ははさみなんかになりたくない」と思ってしまう。そこにはさみだけがあるとき、そのはさみが自分(読者)に見えてくる。
 二連目で「もの」としてのはさみになり、三連目で「もの」を「自分の道具」にする。「道具」とは「肉体」の延長である。「肉体」だけではなできない動きを「道具」を借りて実現する。この「もの」を「道具」に生まれ変わらせるときの「肉体」と「もの」との関係が、

冷たさを握りしめ
毎日毎日温めてやり

 ということばのなかに、正確に、しっかりと動いている。「冷たさ」が「肉体」の体温を受けとめて「温かくなる」ように、「もの」は「はさみ」になって、「肉体」のかわりに何かを切ってくれる。開いてくれる。そのとき、「私の心」は「はさみの肉体/心」になって、動いている。つまり、何かを切ったり、開いたりしている。

空気を切ると
空振りの音を出す
新聞の活字を軽やかに
さくさくと切り抜いていく
古くなったシーツも

 この六行は、すばやくて、明確で、とてもいいと思う。「詩」がある。
 ほかの詩でもそうだが、「私はこう思っているんです」と「念押し」すると詩が閉じ込められ、後退する。そうなる前に、ことばを動かすのをやめてみる「度胸」が必要なのだ。「心」を説明するのではなく、「心」は語らない。「事実」だけ書いて、あとは、ことばが勝手に動いていって、「私の心」ではなく「読者の心」になってくれるのを待つ。そうすると、詩が動く。
 そういう意味でくりかえすと、タイトルの「はさみとの同化」は、とてもまずい。これでは「論文」である。「はさみ」だけでいい。「同化」は読者の仕事であって、上原が「同化」してしまうと、「親身」になることができない。

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