他人の書いた詩の批評、感想に驚くことがある。
ヤニス・リッツオス「井戸のまわりで」(中井久夫訳)が『恋愛詩集』に含まれていることに、私はまず驚いたが……。
女が三人、壷を持って、湧井戸のまわりに腰を下ろしている。
大きな赤い葉っぱが、髪にも肩にも止まっている。
スズカケの樹の後ろに誰か隠れている。
石を投げた。壷が一つ壊れた。
水はこぼれない。水はそのままだった。
水面が一面に輝いて我々の隠れているほうを見つめた。
これが、リッツオスの詩。
なんて不思議な明るい詩か。こんな水、見たことない。見つめるこちらを見つめているなんて。疑うことを知らない「瞳」のようではあませんか。奇跡と呼ぶにはあまりに素朴でユーモラス。同時にわたしたちを深く驚かす、おごそかで綺麗な水。井戸のまわりで起こった「事件」。
これが小池の感想。
「見つめるこちらを見つめているなんて。」この「感想」が「恋愛」を語っている。「瞳」が「恋愛」を語っている。
そうか。「壷」は「比喩」だったのか。
季節は、秋だな。「大きな赤い葉っぱ」は「スズカケ」の枯れ葉だろう。その枯れ葉が女の髪、肩に落ちてきて、止まっている。スズカゲの後ろに「誰か」が隠れているのだが、このスズカケと井戸の距離、女たちとの距離は、そんなに遠くないだろう。どちらかというと、「手の届く」感じ。遠く離れていたらスズカケの葉は女の髪に降りかからない。
隠れている「誰か」とは誰だろう。もちろん、男だろう。その誰かが石を投げた。壷にあたって、壊れた。
これをどう読むかは、難しい。壷は、本物の壷か。比喩か。
井戸があるのだから、水を入れる壷と見るのは自然。一方、石を投げて、その石で壷か壊れるのは、自然のようで、自然ではない。大きな石、力をこめて投げた石なら、そういうことは、当然起きる。けれど、誰か(男)がすぐそばのスズカケの木に隠れていて、そこから合図として石を投げるなら、その石は大きな石ではないだろう。力一杯投げつけるということもないだろう。
夜の窓の下で、恋人が小石を二階の窓に投げる感じ。なるべく小さな音。しかし、気づいてもらえる音。そういう感じの投げ方、そういうときにふさわしい小石だろう。「割る」のが目的ではないのだから。
ここでも同じだろう。
そうすると「壷」は「壷」ではないのかもしれない。「壷」は「比喩」。「壷」と呼ばれているのは、三人の女のうちのひとりだろう。ひとりの体に小石があたる。はっと驚いて、小石の飛んできた方向をふりかえる。スズカケの方をふりかえる。そのふりかえった「瞳」が「水」になるのか。清らかな輝き。
不思議なのは、最終行に出てくる「我々」。
スズカケに隠れていたのは「ひとり」ではない。小石を投げた「誰か」は「ひとり」かもしれないが、そこには複数のひとがいる。
なぜ、隠れていたのかな? なぜ、複数なのかな? ここにも「恋愛」の手がかりがあるかもしれない。
男には思いを寄せる女がいる。その女は決まった時間に井戸に水を汲みにくる。それがひとりでくるのならいいけれど、たいてい複数(今回は三人)でくる。なかなか、ふたりきりで会えない。それがなやましい。そんなことを聞かされた友人が、「誰か」といっしょにやってきたのかもしれない。そして、ここから小石で合図をおくればいい、とそそのかしたのかもしれない。言われた通りに、思いを寄せる女の方に小石を投げる。見事に的中。そして、振り向く。その顔の、その「瞳」の美しさ。
そそのかした男の方が、突然、恋をしたのかもしれない。えっ、こんなに美しいのか。「誰か(友人)」の「隠れているほうを見つめた」てはなく「我々の」と言ってしまっているところに、この詩のいちばんの「秘密」があるのかもしれない。
書き出しの「女が三人」の「三人」も微妙だなあ。「我々」の人数は明確には書いてないが、女が「三」人、壷が「一つ」なら、我々は「二人」になるだろうなあ、と思う。そして、女は「三人」だけれど、恋愛の対象が「一人(一つの壷)」だとすると、男「二人」というは、「三人」にもどってしまう。いわゆる「三角関係」になりかねない。
いや、女が「三人」、男が「二人」なら、そこからもっと複雑な変化も始まるかもしれないなあ。「水面が一面に輝いて」というのは、「一人」の女の瞳が輝いて、というよりも「六つの瞳(三人の女の瞳)」が輝いたということかもしれない。それは「いつもの男が、ほら、来てるわよ、見てるわよ」というからかい(女の友達へのからかい)、からかいという「団結」を一瞬、ほぐしたかもしれない。そんなことも感じさせる。
私はリッツオスの詩を、小池の書いているよう「明るい」感じで読んだことがないので、とてもびっくりした。小池の「ユーモラス」のひとことで、リッツオスがシェークスピアの喜劇か、モーツァルトの音楽(オペラ)に一瞬にして変わるのを感じた。
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小池昌代 | |
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