椅子を持ってきてほしい、 | 詩はどこにあるか

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椅子を持ってきてほしい、

「椅子を持ってきてほしい」と言ったのは、隣に座ってほしかったからだ。このことばは、たいていの場合、誤解された。「隣」ということば、その書かれていない「距離」が誤解を生むのである。けれど「座る」の方が、願望である。座って、通りすぎるものを見つめていたい。

思い出せるだろうか。「秋には葡萄を買った」と言った理由を。いつも通りすぎるだけの店で立ち止まった。古くさい紙に一房つつんでもらった。やわらかく皺を抱いているが葡萄の匂いにそまった。あのときわかったのだ。「私は、もう匂いを食べるだけで十分満足だ。」

窓から見える空には、羽の生えた雲が。

それは、ほんとうにあったことなのか。あるいは思い出したいと思っているだけのことなのか。いまは、どの季節にも葡萄が売られている。そして、どの月日にも、そのひとはいないのに、だれも座っていない椅子を見るたびに「椅子を持ってきてほしい」ということばがやってくる。