感情のように/理性のように(異聞) | 詩はどこにあるか

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感情のように/理性のように(異聞)

本の中の冬の石畳を歩いていくと、足音が凍りながら細い路地へ逃げていく。私から離れていく。そこに、「感情のように」ということばを挿入すべきか、それとも「感情のように」ということばを削除すべきか、悩んだ跡が、「見せ消ち」の形で残っている。

まだ書かれていない意識は、そこで新しい路「見せ消ち」という虚構をつくる。肉体がおぼえている地図を拒絶するように。そのとき、だれかが「理解するとは、私が対象(他者)になることだ」と上の階の部屋で叫ぶ。自殺志願者のように、その声が落ちてくる。見上げると明かりがぱっと消える。

さっきまで存在していた影が、私の背後(脇かもしれない)から暗闇になって侵入してくる。あるいは漆黒となって、私の知らない方向へのびていく。そのあと、「理性のように」ということばを続けるべきか、それとも「理性のように」ということばを切断すべきか、悩んだ跡が、「見せ消ち」の形で残っている草稿。