愛敬浩一『母の魔法』 | 詩はどこにあるか

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愛敬浩一『母の魔法』(「詩的現代叢書7」、2015年06月06日発行)

 愛敬浩一『母の魔法』は散文を行分けしたような作品である。ことばそのものに、おもしろさがあるわけではない。タイトルになっている「母の魔法」。

遥か昔の
そろそろ暑くなり始めた頃のことだ
小学生の私は友だちと
遊びにでも出掛けるということだったのか
汗でもかいたのか
干し竿からシャツを取り
そのまま着ようとした時
母がさっと
私の手からそのシャツを奪い取り
さっさと畳み
「さあ出来上がり」とでもいうように
ぽんと叩いてから
笑顔で私に差し出した
すぐ着る訳だから
特に畳む必要もないと思ったが
母は
まるで魔法でもかけるように
シャツを畳んだのだ
たぶん私はその時
何か、とても大切なことを学んだのだと思う

 書き出しの「遥か昔」は「昔々……」と読み直せば「物語」になる。「遥か」というのは「物語」を「詩」にするための形容詞である。こんなことばを「詞」の書き出しにつかっては興ざめしてしまう。
 そのあとのことばも「描写」というよりは「説明」である。愛敬に「見えている」世界を「見えている」ままではなく、読者にわかるように「説明」している。「遊びにでも出掛けるということだったのか/汗でもかいたのか」なんて、どっちでもいい。そんなことは「説明」しなくてもいい。だいたい「ほんとう」である必要はない。「理由」にほんとうも嘘もない。小学生には似つかわしくないかもしれないが、「女をたぶらかしに行く」でも「人を殺しに行く」でも、読者は気にしない。「理由」よりも「行動」を読む。
 母親がシャツを畳んだときの「「さあ出来上がり」とでもいうように」の「とでもいうように」という「ていねいさ」が、とてもうるさい。「解釈」も「理由」と同じであって、何でもいいのである。「行動」とは違って「事実」というより、そのひとの「思い込み」にすぎない。
 「特に畳む必要もないと思ったが」の「特に」がうるさいし、「思った」ということばも、どうでもいい。愛敬が「思う」かどうか、知ったことではない。
 最後の一行も、ぞっとする。書いてあることは「ほんとう」なのだろうけれど、「思った」ということばは愛敬の「正直」を証明しているが、詩にこういう正直はいらない。こういう「正直」は逆に「不正直」に見える。「思う」というようなところを経由するひまもなく、「肉体」が直接動いてしまうのが「正直」の姿なのだから。
 で、文句をたらたら書きながら、それでもこの詩について書きたいのは……。
 その「正直」(「肉体」が有無をいわさず動いてしまう瞬間)が、この詩に書かれているからである。

母がさっと
私の手からそのシャツを奪い取り
さっさと畳み
「さあ出来上がり」と
ぽんと叩いてから
笑顔で私に差し出した

 「とでもいうように」を省略して引用してみた。実際、母にしてみれば「とでもいうように」ではなく、無言でそう言っているのであり、無言だとしても愛敬の「肉体」には、はっきりそう聞こえるのだから、「とでもいうように」と「説明」してしまうと、せっかく「肉体」に直接聞こえた「声」が「意味」になってしまう。「頭」のなかで整理されてしまって、そこから「肉体」の直接性(正直)が消える。
 この母の、「ことば」を必要としない「肉体」の動き。「肉体」がすばやく動いて、愛敬の「肉体」に直接触れる部分。ここに「母の正直」があるし、それをぱっとつかみとる「愛敬の正直」もある。
 「笑顔で」の「笑顔」も、表情というよりは、顔のなかで動いている「感情(正直)」である。「笑顔」と名詞にせずに、動詞で言い直して書いた方が「肉体」がもっと明確になる。「肉体」の存在感と、「肉体の直接性」が出ると思う。

 で、この「正直」というのは……。
 いままで書いてきたことと矛盾するように見えるかもしれないが、「ことば」にする必要がある。「正直」そのものは「ことば」を介さずに、母から愛敬の「肉体」へ直接響いていくのだが、その「直接性」は「無言」であるがゆえに、「ことば」になることを欲している。「無言」(まだ、ことばになっていないことば、未生のことば)が「ことば」になるとき、そこに詩が生まれる。
 あ、こういう「肉体」の動き、「肉体」のなかで動いている「ことばにならないことば」があった、ということを「肉体」が思い出す。その瞬間が、詩、なのだ。
 シャツを着る。汚れる。洗う。乾いたら、また着る。その動作のあいだに、洗ったシャツを畳んでもとの形にととのえる、という「ひと手間」。そこに「暮らしのととのえ方」(いのちのととのえ方)がある。「余分(余剰)」がある。それが人間の「正直」というものである。他者に対する「感謝」かもしれない。
 こういう、「ことば」にならない「無言のことば」、「ことば」にして引き継いでゆかなければならない。--と書いてしまうと、まるで「倫理」の教科書の言いぐさになるが……。
 それを書こうとしている愛敬の、この部分のことばの動きは、いいなあ。
母の魔法―愛敬浩一詩集 (詩的現代叢書)
愛敬浩一,詩的現代の会
書肆山住