高塚謙太郎『memories』は、私の肉体にはかなり負担が大きい一冊だった。視力が弱い私にはフォントの密集感(特に肉太の感じ)が、文字を網膜に強制的に焼き付けられるような苦しさで迫ってくる。まあ、こういう感じも詩の一部なのだが。
「『肺姉妹』」という作品。(タイトルが『 』のなかに入っている。)「肺」と「姉」は「市」という文字を右側に共有している。「姉妹」は「女」という文字を左側に共有している。ひとまとめにして読むと、文字のなかで「複視」が起きたような、一瞬、目を閉じたいような苦しさで迫ってくる。
姉は肺をかかえて階段を上っている。息の揺れ、が階段はあと何段ですと告げ知らせている。
この書き出しのなかで、「複視」はさらに激しくなる。「姉は肺をかかえて階段を上っている。」は「肺」を肉体的に強く感じながら(肺の苦しさをかかえながら)階段を上るということであって、「肉体」の外にだれかの「肺」かかえてということではないのだろうけれど、「姉」と「肺」が交錯すると、「女」の「肉づき(漢字の左側の月をそう呼ぶと記憶しているが)/肉体」を破って「市」が出入りしているような、奇妙な印象がしてくる。「女」が透明になり「肉体」の「市」が見える、「姉」の「市」と重なったり、離れたり、「複視」の現象そのものに見える。
そのあとの「息の揺れ」は「肺の乱れ(呼吸の乱れ)」をあらわしているのだと思う。「肺」が苦しくて、もだえる。そして「揺れる」。その「揺れ」は、そのまま「複視」の揺れに見えるし、それが「息の揺れ、が」と読点「、」を挟んで動くときは、その「、」がつくりだす「間」がまた「複視」の重なりのあいだの「間」のようで、なんとも厳しい。「複視」の「間」のぶつかりあいが、「息」という形で動いている。
さらに、これに「告げ知らせる」という「動詞」の「複視(?)」が追い打ちをかける。「告げる」か「知らせる」で「意味」は十分に伝わると思うが、これを「告げ知らせる」と重複させている。
あ、つらいなあ。
階段は次第に黒ずみながら上方へと縮れている。息の揺れ、が必ず次には少ない階段を述べるわけだが、姉が立ち止まると肺が鬱血し、記憶の書き換えが起こってしまうこともある。
「階段は次第に黒ずみながら上方へと縮れている。」は、苦しい肺(息の揺れ)には階段の上方が変形して迫ってくるということだろう。「縮れる」は短くなるというのではなく、萎縮し、そこを上るには肉体をかがめるとか、なにかをしないといけないということ。ふつうの姿勢ではのぼれない、肉体的に困難さが増すということを語っているだろう。
肉体的に負担が大きくなるから、「息」は負担の少ない階段を選びたがる。(息の揺れ、が必ず次には少ない階段を述べる。)その選択の瞬間、立ち止まる。立ち止まると呼吸が乱れ(一定のリズムが瞬間的に変化し)、それが肺に響く。肺のなかで「鬱血」が起こる。それは、そういうことが何度もあって肉体にしまいこまれているので、あれこれの「記憶」となって甦る。--そういうことを書いているのだと思うのだが、この「記憶の書き換え」の「書き換え」が、また「複視」のように感じられる。ひとつのこと(記憶)が書き換えられるとき、そこにはなにか共通ものも(「姉/肺」の「市」のようなもの)があって、そこに共通しないもの(「姉/肺」の「女」と「月」)がずれながら重なる。そういう印象を刺戟してくる。
このあと、「妹」が出てくる。
肺に委ねられた姉の前進作業は美しく繰り返される。息の揺れ、はその美しさの妹になる。
姉が階段を上る(前進する)ことは、肺の能力次第。肺が息ができれば上るし、できないときは立ち止まる。それは過去の肉体の苦しさ(記憶)を繰り返しながら、改められる。繰り返しは、そのまま繰り返されるのではなく、書き換えられながらつづく。それを「美しく/美しさ(美しい)」ということばのなかに閉じ込めている。
この「美しさ」に重なるように登場する「妹」は、実在の「妹」か。私には「複視」が呼び覚ました「幻の妹」、「不在の妹/非在の妹」のように思える。「複視」が要求する「幻想」としての「美しさ」に感じられる。それを「幻想」と仮定することで、「複視」の「複(間のずれ/重なり)」が、頭のなかで調整される。
調整するといっても、それは「混乱」でもあるのだけれど……。
鬱血と妹、は姉の肺の文字のようなものということになるだろう。妹は数値を告げる上で姉の記憶の肺を先回りしていて、それは姉が立ち止まることで鬱血する肺の書き換えられる姉の、妹の、誤った、思い出、を次から次へと書き換えていくことに似ている。
「肺/姉/妹」を分断し、また接続するものとして「鬱血」がある。「鬱血」が「肺」を意識させ、その鬱血が「妹」を必要とする。ここにいるのは「ひとりの女」なのだが、その女が肺(息)の苦しさにもだえるとき、その「肉体」をととのえるために「妹」が捏造される。肉体が妹という分身を要求する。その「妹」は「数値を告げる」のだが、この「数値」とは書き出しに出てきた「階段はあと何段です」の「何段」という「数値」である。書き出しでは「(姉の)息の揺れ」が「告げ知らせている」が、それはここでは「妹」になって「告げる」。「(姉の)息の揺れ」が「妹」であり、それは「書き換えられた記憶」(幼いときの姉、つまり姉から見れば妹のような存在)である。「記憶(過去)」から息の揺れ(肺の苦しさ)はつづいていて、それを「姉」は「妹」として認識しているということだろう。
私は目が悪いので、高塚の書いていることばの細部を詳細にたどることはできないが、そんなふうに「書き換え」ながら読んだ/読み替えた。
他の作品にも「息の揺れ、が階段はあと何段ですと告げ知らせている。」の読点「、」と似たつかい方があるが、この作品がいちばん効果的に「息(肉体)」をつかっていると感じられた。
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