153 磔刑
青春は不思議なものである。苦悩にさえあこがれる。
ぼくは物音のとだえた深い静けさのなかで
いままさに失いつつあるものをはつきりと見きわめる
この不在の遠い階段をぼくはのぼつてゆく
そして大地が一個の巨大な氷塊になつたとき
ぼくは燐光を放つ人柱となつて
垂れさがつた厚い空をしつかり支えるだろう
「不在の遠い階段」は「不在の長い階段」。目的地が遠くにあるから「遠い」という形容詞が結びつく。「論理的」には奇妙なのだが、こういう「短縮形」が詩の秘密である。ことばを越えて、かけ離れたものを結びつけてしまう。
しかし「不在の階段」をどうやってのぼるか。そこをのぼっていくのは「肉体」ではない。「精神」である。「精神」は最初から「架空」のものなのだ。「虚構」なのだ。だから、「不在」の階段をのぼることができる。
「燐光を放つ人柱」もまた「精神」の比喩のひとつである。
そうであるなら、凍った大地も、垂れさがった空もまた比喩であり、虚構である。
虚構のなかで動き、苦悩する精神。それが青春というものかもしれない。この詩を書いたとき嵯峨は何歳だったか。それはふつうに言う「青春」の世代とは違うかもしれない。嵯峨の「精神」が「青春」だったということだ。
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