128 白椿
咲きこぼれている白椿の花が
ひとひらひとひら夕日を受けている
このような神話をいまだれが話そうとしているのだろう
一行目、二行目は風景の描写に見える。しかし嵯峨はこれを「神話」と呼んでいる。そして、さらに「誰が話そうとしているのだろう」と問いかけている。
そう書きながら、嵯峨は、現実に見た風景から「神話」を話そうとしているのだ。
この浄らかな敷布の上にねて 夢のなかをどこまで帰つていくのだろう
「敷布の上」は白椿の花びらからの「比喩」。そして「敷布」から「夢」という「比喩」が生まれ、散った花びらは「神話」へと帰っていく。
椿は、椿自身を語る前に、「神話」の「全風景」を語る。その部分がとても美しい。椿ではないから美しいのかもしれない。それは嵯峨が嵯峨のことを語るのではなく、椿を語ることで自分を語るときの美しさに似ている。他者になる、自分を捨てる、ということのなかに美しさがひそんでいる。
空は青い色からしだいに紫になる
つつみきれない青色がはるかな地平をひとすじながれていて
その直下から遠く流れてきた川が
夜になると鈴のように鳴りひびく
「しだいに紫になる」の「しだいに」は「夕日が試みる批評」に書かれていた「少しずつ」とおなじ。その「少しずつ」を見る力が「ひとすじ」を見る力にもなる。空の変化から、直下の川(大地)を、「はるかな地平」で結びつけ、「神話」の舞台が完成する。絵画的にはじまった描写が「鳴る」という動詞で音楽的にも膨らんでくる。
この「神話の舞台」で白椿の、白椿自身の「神話」が語られる。その結論(?)よりも、そこに至る導入部分(「空は……」からはじまる四行)の方が、私にはとても「神話的」に感じられる。
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