破棄されたの詩のための注釈(32) | 詩はどこにあるか

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破棄されたの詩のための注釈(32)

「コップの灰色」ということばが、「絵」を呼び出した。テーブルの上のコップは、そうやって「過去」へ入っていく。「過去」とは人間の内部のことである。という比喩をとおるので、絵の中のコップの内部に入った水がつくりだす屈折は青くなる。一方、テーブルの上に投影されたコップの内側の輪郭と、コップの左側の白い光は塗り残した紙の色である。

さらに注釈をつけると、塗り残しについて聞かれたとき、セザンヌは「ルーブルでふさわしい色が見つかったら、それを剽窃して塗る」と答えた、という「注」をつけたくて、一連目を書いたのである。それはしたがって「事実」の描写ではない。捏造である。(一説に、セザンヌのことばは「ふさわしい色が見つかるまで塗り残しておくだけだ」。)

さらに注釈をくわえるなら、「絵」にしておもしろいのは「コップの灰色」ではない。つかいこまれた手袋や革靴の皺。鉛筆だけで何度も線を重ねながら黒い面にしてゆく。ひたすらリアリズムを追求するとき、皺は「内部」に起きたことを「外部」として刻む、一種の「罰」にかわる。顔のように、意識的に装うことができない。そういう苦悩が絵にでてしまう。

だからこそ「コップの灰色」にこだわるだとも言える、と書けば、これはもう「注釈」を逸脱することになる。無機質なものであっても、選びとられた瞬間から、そこに指紋のようなものが付着する。「内部/外部」は最初から最後まで一貫して存在するわけではない。そのつど「内部/外部」として世界にあらわれてくる、という注釈を書くためには四連目はどうあるべきだったのか。




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