「半壊のビルは思うのだった」ということばがあった。少し前に「高く残ったビルは考えていた」と書かれていたのだが、「半壊」ということばがつかいたくて書き直されたのだった。「半壊」は「全壊」よりもなまなましい。穴のあいた二十階の床から見える、あの街の上に広がる空のように。突然開いた虚無よりも深いのだ。
「半壊のビルは思うのだった」ということばは、その後「半壊のビルは考えていた」に書き直され、少し前に戻る。「高く残ったビル」と書いたときに、その高さを破壊しにやってきたのは何もない空だった。しかし、空は破壊もしなければ、ビルに強靱な輪郭を与えるわけでもない。無関係に鳥が落ちていくために存在する。
擬人化は、ほんとうに擬人化なのか。そうではなくて、人の「擬物化」である。なぜなら、ことばは人間のものであり、物のものではないからだ。みずから「比喩」になることで、人はものに生まれ変わる。ものとして生きることで、あらゆる感情を捨てる。捨てたいのだ。名前のないセンチメンタルは。
「半壊のビルは思うのだった」ということばは、しかし、正確ではない。全壊してしまったビルが、まだ「半壊」のときに思いたいことをことばにするために書かれたものであって、そのことばが呼び出されたときには、もうビルは跡形もなかった。しかし「半壊」と声に出せば、「半壊」は瓦礫から犬のように這い出してくるかもしれない。
「半壊のビルは思うのだった」のあとに「もう壊れることはない」ということばがいったん書かれ、それから詩は破棄された。あの事件を語るには、「半壊のビル」は野蛮すぎる。夕暮れ、風が吹いてきて空が黄金色からラピスラズリーに変わるとき、割れた鏡が星を吐き出したという描写のように。
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