「古代ギリシャ系シリア人魔術師の処方によって」は奇妙な詩である。薬草を蒸留したエキスを飲むと過去が呼び戻せるのだという。ドラッグの類のことだろう。
では、どんな「過去」を呼び出すのか。
そう、返ってくるのだ、二十三歳の日が。
当時二十二歳だった友も、
その美も、その愛も。
若い時代の愛の記憶。そのエロスの美の記憶。おもしろいのは単に過去とは言わないところだ。私(カヴァフィス?)が二十三歳、そのとき相手は二十二歳だった。「その美」「その愛」よりも、この明確な「年齢」こそ、カヴァフィするの呼び出したいものだったのだろう。美も愛も抽象的なことばだが年齢は具体的である。
自分の年齢を言ったあと、「当時二十二歳だった友も、」と書いているのは、いまカヴァフィスが二十三歳ではないのと同様に、友も二十二歳ではないからだが、わざわざそう書いているのは、その友といっしょにドラッグをやろうとしているということかもしれない。「きみも二十二歳の日に返れるんだよ」と、いうわけである
何とすてきなエキスの発見。
古代ギリシャ系シリア人魔術師の処方だ。
返ってくるのだ、過去への回帰の一部として
私たちがふたりきりで過ごしたあの小部屋までが--」
こでも書かれていることは相変わらず抽象的に見えるが、少し違う。ふたりで過ごした部屋を「あの部屋」と呼んでいる。「あの」には意味がある。「あの」がわかる相手がいる。カヴァフィスは「あの」友にドラッグをやろうと誘っている。「あの」部屋と言えるのは、ふたりは「その」部屋だけをつかったのだろう。あちこちの部屋を、その日そのときでつかったのではなく、愛を交わすなら「あの」部屋と決めていたのだろう。
ふたりの思い出はいろいろいあるだろう。ふたりの過去はいろいろあるだろう。しかし、カヴァフィスは「あの部屋」こそ「過去」だと感じている。「過去への回帰の一部として」というもってまわった複雑な表現が、カヴァフィスのこだわりを明確にしている。「あの」思い出、というわけだ。
そして、この詩が、
さる通人の話です。
という一行ではじまるのも、とてもおもしろいと思う。自分のことだからこそなのか、それともドラッグを書いているからなのか、自分のことではないように装っている。よほどの思い入れがあるのだろう。二十三歳の日々に。
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