「ヨアネス・カンタクゼノスが勝った」に関して中井久夫の注釈がある。カンタクゼノスがコンスタンティノポリスで戴冠式をあげた一三四七年は「トルコ在住のギリシャ人とギリシャ在住のトルコ人の強制相互移住の年である。」ギリシャ人もトルコ人も一族の切り開いた土地を捨てて母国へ帰られなければならなかった。そういう「ギリシャ人は、同じ立場のトルコ人の約三倍弱、一二五万人である。」そのひとりが語っている。
男は牧場と畑地を眺めた。
まだ我がものじゃある。
小麦に家畜に果樹園に。
向うは先祖代々の屋敷。
高価な家具よ、銀の器よ。
ああ、ちくしょう、みんな持ってゆきやがる。
今 みんな持ち去ってゆきやがる。
「男」と第三者風に書きはじめて、その男がすぐに「我」になる。客観から主観に変わって、主観が主張しはじめる。このとき、「我が」は「私」だけにとどまらない。「我が家系」、あるいは「我々」へと変わる。
これは私の印象だけかもしれないが、このときの「我」という主語の選択は、とてもおもしろい。もし、これが「私」「おれ」「ぼく」という主語だったら「我がものじゃ」は「私のものじゃ」「俺のものじゃ」「ぼくのものじゃ」になり、なんとなく、その主張が個人に限定されてみみっちく感じられる。「我が」といったとき、「我々」という複数がすぐに浮かぶのに対して「私」「おれ」「ぼく」は、そのことばを重ねて複数になることがない。「我」「我が」の方が、悲劇を共有しやすい。
そういう「我」で土地や作物、家財をながめたあとで、「ああ、ちくしょう、みんな持ってゆきやがる。」と口語で、その悔しさを「我々」(複数)から「我」(個人)へと引き戻す。「我々」複数の悔しさ、怒りなのだが、怒りをみんなでわけもつというよりも、あくまで個人で持ちつづける。怒りは、怒りを組織化すると力になるが、単なる共有では「分散」になってしまう。怒りの分散は諦めである。それでは、悔しさにならない。
組織化される前の怒りは、あくまで個人の「肉体」のなかでうごめく。暴れる。
「悲劇」は共有され、哀しみという感情になる。けれど怒りは、共有されて新しい感情になるというのはむずかしいのかもしれない。怒りの組織化には、何か、怒りとは別の「哲学」が必要なのだろう。「我々」から分断された「我」の怒りは、奇妙にねじれる。
カンタクゼノスがあわれみをかけてくれるか?
行ってひざまずいてみようか?
ぬけがけ。こういう庶民の声もカヴァフィスは聞きとる耳を持っていた。
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