中井久夫訳カヴァフィスを読む(114) | 詩はどこにあるか

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中井久夫訳カヴァフィスを読む(114)        

 「アレクサンドリアにて、紀元前三一年」はアントニウスとクレオパトラの連合艦隊がオクタウィウスの艦隊に敗れたときのことを書いている。「真先にアレクサンドリアに逃げ戻ったクレオパトラが勝利を偽装しようとしたのは史実である」と中井久夫は注釈に記している。
 カヴァフィスは、この史実を「敗北」ということばも「偽装」ということばもつかわずに書いている。

まち外れの村から
小間物屋がやってきた。
旅のほこりをそのままに
「えー、香料にゴム!」「極上のオリーブ油はいかが?」
「あなたのお髪に薫らす香水!」
通りを呼ばわり歩いた。
だが、このまちのざわめき、楽隊の音、行列、パレード--。
小間物屋の声などお呼びじゃない。

 小間物屋の声と町のざわめきの対比。小と大の無意味な比較。そして、「大」の方が大雑把な「楽隊の音、行列、パレード」に対して、小間物屋はあくまで「あなたのお髪に薫らす香水!」のように肉体に密着し、具体的だ。また、それよりまえの「旅のほこり」という疲労感が漂う表現が、この対比をよりくっきりしたものにしている。

群衆にこずきまわされ、引きずられ、
これはなんじゃと面食らった小間物屋は
たまらず聞いた--「いったい何がおっぱじまったんで?」
誰かにかつぎ挙げてもらったら壮大な宮殿が見えた。
「アントニウス、ギリシャに大勝」と大書してあった。

 最後の「大勝」と「大書(たいしょう)」のだじゃれが強烈だが、これは中井久夫の翻訳の妙。
 私がしかしいちばんおもしろいと感じるのは、小間物屋の「声」である。「いったい何がおっぱじまったんで?」。これも中井の「声」を聞きとる耳のよさがそのまま生きているが「おっぱじまる」という口語と、それをさらに口語っぽくしている「はじまったんで?」と「で」で終わる言い方がおもしろい。「ですか?」ということだが「か」という疑問をイントネーションであらわしている。書かれた文字なのに、その文字のなかに「声」がそのまま動いているところがリアルだ。
 このリアルさがあって、「壮大な宮殿」の嘘、「大勝」と書いた文字の大きさの嘘が際立つことになる。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社