「ネロの生命線」は短編小説のような趣がある。
デルポイの予言を聞いて、
ネロは全く心配しなくなった。
予言は言っていた。「七十三歳の年に気をつけよ」
楽しむ時間はたっぷりある。
今を盛りの三十歳。
神の引きたもうた生命線は
これからの危険の安全保障じゃ。
ところが、この「七十三歳の年」というのはネロ自身の年ではなかった。七十三歳の男に気をつけろ、という意味だった。それを理解できずに、いまは三十歳だから七十三歳までは安心して生きていける。気をつけなくても平気だ、と受け止めてしまった。
そうしたときの、ネロの口調がおもしろい。
さて、すこし疲れた。ローマに帰ることにすっか。
だが、楽しい旅の疲れだなあ。
まったく快楽のための旅だからの。
「すっか」「……の」という口語そのままの音。この、俗人(?)丸出しの口調。ネロがほんとうにそういう口調だったかどうか、あるいはカヴァフィスがそういう口調をことばにしているかどうかわからないが、中井久夫の訳にかかると、英雄ではなく、気楽な俗人の雰囲気がぱっと広がる。運命に対して、まったく心配していない感じ、だらけた感じが実感としてつたわってくる。
この砕けた文体に、最後の三行が厳しく対峙する。
スペインではガルバ。
ひそかに軍を選抜・練兵。
ガルバ。当時七十三歳。
その結果何が起きたのか、この詩は書いていない。史実、周知のことだから書かないともいえるが、文体の違いで何が起きたかを暗示できるから書かない。
カヴァフィスはもともと省略の多い詩人だが、ことばを省略するかわりに、口調(音の響き)で何かを知らせる詩人なのだろう。耳のいい詩人だ。その耳のよさを中井はしっかりと受け止め、口語に翻訳している。ことばの「意味」ではなく、そのことばが発せられたときの口調(肉体の様子)で、意味を予感させている。
こんなだらけた口調の男なら、不意をつかれて死んでしまうのもむりはない--そう感じさせる。