中井久夫訳カヴァフィスを読む(56) | 詩はどこにあるか

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中井久夫訳カヴァフィスを読む(56)          

 「セレウキデスの不機嫌」も態度と声、衣裳と声がテーマだといえる。

デメトリオス・セレウキデスはいたくご不快。
イタリアに着いたプトレマイオス家の者が
とてもむさくるしいなりで、しかも徒歩だという知らせ。
お伴の奴隷も三人か四人。これじゃ
奴の王朝 早晩なめられ、
ローマの笑いものとなり果てようぞ。

 このセレウキデスのことばは「なめられ」という肉体と直接むすびつく口語があって、主観の強さがあるが、それはあくまでセレウキデスのこと。その口調のままの、なれ親しい感じで、王にふさわしい身なりを、……「せめて身なりなりとも--。/どこか威厳が欲しいじゃないか。」と衣裳や王冠、馬をおくろうとする。「わしらもまだ王。/まだ(あし!)王という名だけはあるんだぞ。」と「主観」を繰り返すが、もう一方の登場人物、プトレマイオス家の者は……。

話を聞いてことごとく辞退。
そういう贅沢な品はこれっぽっちも要らない。
ぼろを着て、みすぼらしい様子でローマに行って
二流の職人の店で身なりを整え、
不運な貧相な奴だと元老院に思ってもらわなくちゃ、
嘆願の効果を一層大にするためには。

 ここで衣裳、身なりが、やはり「声」だということがはっきりする。
 一方に、権力、地位が高いことを象徴する衣裳、好運な人間をあらわす衣裳があり、他方に不運を象徴する衣裳がある。この衣裳の「声」とことばと同様に「意味」をつたえる。「意味」だけではなく、口語の口調のようなものもつたえる。「二流」というのは衣裳における「口語」である。「眼(肉体)」で直接感じ取ることができる。
 鷹揚な口調は、嘆願にはふさわしくない。つつましい口調は嘆願にふさわしい。同様に、豪華な衣裳は嘆願にはふさわしくない。つましい衣服は嘆願にふさわしい。「嘆願」は「意味(内容)」をつたえるだけではなく、嘆願しないことには生きていけないという「気持ち」(こころの調子)が必要。あわれみを引き出さなければならない。
 「嘆願の効果を一層大にする」とカヴァフィスは明確に書いている。「効果」を生み出す力が、話す「声」にあるのと同様、身なりにもある。豪華なものでは「あわれみ」を引き出すことができない。「意味」ではなく「主観(感情/あわれみ)」を引き出せるかどうかが、嘆願が通じるかどうかの境目なのだ。
 カヴァフィスはそれをはっきりと意識している。