西脇順三郎の一行(97) | 詩はどこにあるか

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西脇順三郎の一行(97)

「奇蹟」

地獄の色彩のように

 この行も、前後を引用してみる。

フキノトウもイタドリも
地獄の色のように
やつとにじみ出ている

 「地獄の色のように」ということばを独立させたかったのだ。色を強調するためだろうか。違うだろうなあ。色を強調するのなら、次の「やっと」がきびしい。いや、かすかなものを強調するという方法もあるけれど、繊細な感覚と地獄の色彩は、どうも私の感じではそぐわない。
 「フキノトウもイタドリも/やつとにじみ出ている」では、あまりにも風景が自然になりすぎる。「日本的抒情」になりすぎる。それを壊したかったのだろう。西脇は「日本的情景」も好きなのだと思うが、その「情景」が「日本の定型」のなかで語られるのが嫌いなのだ。「日本の定型」をたたき壊して、非情な自然そのものにかえしたい。感性の定型と切断した場所で、「もの」そのものを見たかったのだと思う。